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アッバース朝
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
アッバース朝
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'''アッバース朝'''(750-1258)は[[バグダード]]を首都とした[[イスラム]]王朝。[[スンニ派]]。ムハンマドにつながるアッバース家が世襲した。 ==歴代カリフ== *1サッファーフ(723?-754)<750-754>:749年カリフと宣言。ウマイヤ朝を滅ぼし、即位。シーア派を弾圧した。 *2マンスール(713?-755)<754-775>:アッバース朝体制の実質上の創設者。首都バグダードを建設。神権カリフ制の確立。 *3マフディー()<775-785>: *4ハーディー()<785-786>: *5ハールーン・アッラシード(766-809)<786-809>:3回にわたり、ビザンティン帝国に親征。『千夜一夜物語』に登場。図書館バイトアルヒクマを建設。 *6アミーン(787-813)<809-813>:約束を破り自分の子を後継者に指名したことから兄が反乱を起こして殺された。 *7マアムーン(786-833)<813-833>:知恵の館を設置し、ギリシャ哲学を導入。最初の神学学派ムータジラ派を形成した。 *8ムータシム()<833-842>:トルコ奴隷兵を採用。以後、カリフは傀儡化が進む。サーマッラーに遷都(のち戻る)。 *9ワースィク()<842-847>: *10ムタワッキル()<847-861>: *11ムンタスィル()<861-862>: *12ムスタイーン()<862-866>: *13ムウタッズ()<866-869>: *14ムフタディー()<869-870>: *15ムータミド()<870-892>:再び宮廷中心の政治体制に立て直す。 *16ムータディド()<892-902>:892年、バグダードに遷都。 *17ムクタフィー()<902-908>: *18ムクタディル()<908-932>: *19カーヒル()<932-934>: *20ラーディー()<934-940>:軍人が政治的実権を握る。 *21ムッタキー()<940-944>: *22ムスタクフィー()<944-946>: *23ムティー()<946-974>:946年、シーア派のブワイフ朝がバグダードを占領。以後、政治的実権は弱まる。 *24ターイー()<974-991>: *25カーディル()<991-1031>: *26カーイム()<1031-1075>:ブワイフ朝にかわり、セルジューク朝の影響下になる。 *27ムクタディー()<1075-1094>: *28ムスタズヒル()<1094-1118>: *29ムスタルシド()<1118-1135>: *30ラーシド()<1135-1136>: *31ムクタフィー()<1136-1160>: *32ムスタンジド()<1160-1170>: *33ムスタディー()<1170-1180>: *34ナースィル(1157?-1225)<1180-1225>:外圧に空白が生じたのでカリフ権限の復活を目論む。 *35ザーヒル()<1225-1226>: *36ムスタンスィル()<1226-1242>: *37ムスタアスィム()<1242-1258>:1258年、モンゴル帝国の侵略を受け滅亡。マルムーク朝の庇護を受け、カイロに亡命。のちさらにオスマン帝国にカリフ位は受け継がれたという。
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