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オエド御嶽山遥拝所

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年1月22日 (火)

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'''オエド御嶽山遥拝所'''は、福島宿(木曽福島)から[[木曽御嶽山]]に向かう道中、黒沢方面と王滝方面との分岐点にある遥拝所。
'''オエド御嶽山遥拝所'''は、福島宿(木曽福島)から[[木曽御嶽山]]に向かう道中、黒沢方面と王滝方面との分岐点にある遥拝所。
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[[木曽御嶽信仰の行者旧跡#順明旧跡|順明]]の像を祭った順明堂がある。
[[木曽御嶽信仰の行者旧跡#順明旧跡|順明]]の像を祭った順明堂がある。
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ちなみにオエドの地名は以仁王を祀った御影堂(おえど)があったことに由来するという。(『御嶽の歴史』257-258)
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ちなみにオエドの地名は[[以仁王]]を祀った御影堂(おえど)があったことに由来するという。(『御嶽の歴史』257-258)

2019年1月22日 (火) 時点における最新版

オエド
おえど
Ontake-san (44).jpg
概要 木曽御嶽山の遥拝所。
奉斎
所在地 長野県木曽郡木曽町
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オエド御嶽山遥拝所は、福島宿(木曽福島)から木曽御嶽山に向かう道中、黒沢方面と王滝方面との分岐点にある遥拝所。

丸山平八郎(松尾講祖、広徳霊神)が1862年(文久2年)に鳥居を建立(『三岳村誌 上巻』833-4)。1869年(明治2年)、鳥居建設問題が起こる。1869年(明治2年)7月、丸山平八郎が建立した鳥居が壊れているので、多摩郡柚木村木村勝右衛門らによって再建された。しかし、黒沢口有利に建てられたことから、王滝村が反発し、鳥居建設を表明し争論となった。上松村の神職の仲介で和解して、1871年(明治4年)に石標を建てることで決着した。

順明の像を祭った順明堂がある。

ちなみにオエドの地名は以仁王を祀った御影堂(おえど)があったことに由来するという。(『御嶽の歴史』257-258)


画像


参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A8%E3%83%89%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E5%B1%B1%E9%81%A5%E6%8B%9D%E6%89%80」より作成

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