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カルナック神殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
カルナック神殿
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'''カルナック神殿'''(Karnak Temple Complex)は、エジプト南部[[テーベ]](ルクソール)にあった[[古代エジプト]]の神殿群。[[ルクソールのアメン神殿|アメン神殿]]を中心に、[[ルクソール神殿]]、[[ムト神殿]]、[[モンチュ神殿]]、[[ルクソールのアテン神殿|アテン神殿]]などがある。 [[ファイル:カルナック神殿・全体・立体図001.jpg|thumb|1000px|カルナック神殿の全体図]] {|class="wikitable" |- !style="width:10%" |エリア !style="width:20%" |名称 !style="width:20%" |祭神 !style="width:50%" |概要 |- |アメン神殿 |[[ルクソールのアメン神殿|アメン神殿]] |[[アメン]]=[[ラー]] |フィリッポス・アリダイオスが建造した至聖所が現存する。 |- | |第1塔門 | | |- | |第2塔門 | | |- | |第3塔門 | | |- | |第4塔門 | | |- | |第5塔門 | | |- | |第6塔門 | | |- | |セティ2世の聖舟祠堂 |テーベ三柱神?(聖舟祠堂) |第1塔門内の前庭の広場の北側に南面して建つ。祭神はテーベ三柱神(アメン・ムト・コンス)。聖舟を納めた。第19王朝のセティ2世が建造した。 |- | |ラムセス3世神殿 |テーベ三柱神?(聖舟祠堂) |第1塔門内の前庭の南側の壁面に中心軸に垂直に交差する形で面する。テーベ三柱神の聖舟祠堂。第20王朝のラムセス3世が建造した。 |- | |トトメス3世祝祭殿 |(祝祭殿) |至聖所の背後に位置する。第18王朝のトトメス3世の祝祭(セド祭)を行うための殿舎として建造され、後にはオペト祭の中で使用された。6世紀にはキリスト教・コプト正教会の聖堂に転用された。 |- | |祖先の部屋 |不詳 |トトメス3世祝祭殿の南側にある。「カルナック王名表」が発見された。 |- | |東の祠堂 |不詳 |トトメス3世祝祭殿の北東にある。 |- | |(中王国時代の神殿) | |至聖所の前庭の位置に中王国時代の神殿が建てられていた。 |- |アメン神殿周辺 |第7塔門 | | |- | |第8塔門 | | |- | |第9塔門 | | |- | |第10塔門 | | |- | |プタハ神殿 |[[プタハ]]<br>プタハ<br>[[ハトホル]] |アメン神殿の北側に建つ。祭神はプタハとハトホル。プタハの部屋が二つあり、またハトホルの部屋には現在セメクト像が奉安されている。第18王朝のトトメス3世が建造し、第25王朝のシャバカやプトレマイオス朝の時代に改造された。 |- | |ラムセス2世神殿 |[[アメン]] |アメン神殿の背後(東側)にある。東門に近い。庶民がアメン神に祈る場だったという。第19王朝のラムセス2世が建造した。[[ローマ]]の[[ラテラノ大聖堂]]前にあるオベリスクは、元々はここにあったという。「聞き届ける耳の神殿」とも。 |- | |オシリス祠堂 |[[オシリス]] |祭神はオシリスか。第25王朝のタハルカが建造したという。2棟の小さな建物がある。オシリス・ヘカジェト祠堂。 |- | |ハコルの聖舟祠堂 |(聖舟祠堂) |アメン神殿の第1塔門の正面の南よりに建つ。第29王朝のハコルが建造したか。聖舟を納めた殿舎。 |- | |聖池 | |アメン神殿の南側にある。地下水を水源とする。神官が祭祀の前に禊を行った。第18王朝のトトメス3世が建造した。現在の池は第25王朝の時代に作られたもの。 |- | |聖鳥の囲い地 | |アメンの神使ガチョウを飼育した。ガチョウを聖池に放つためのトンネルがある。 |- | |タハルカ神殿 |(太陽神か) |アメン神殿の南側、聖池の北西にある。太陽神の祭祀に関わるものとみられる。第25王朝のタハルカが建造したという。それ以前の第18王朝のアメンホテプ3世が太陽神のために建てたスカラベ(太陽神の化身)の像がある。 |- | |アメンホテプ2世祝祭殿 |(祝祭殿) |第9塔門と第10塔門の間の中庭に面して、東壁とつながる形で建つ。元は第7塔門と第8塔門の間にあったという。第18王朝のアメンホテプ2世の祝祭(セド祭)を行うための殿舎として建造された。 |- | |コンス神殿 |[[コンス]] |アメン神殿の神域の西南隅に南面して建つ。祭神は月神コンス。コンスはアメンの御子神。第20王朝のラムセス3世が建造した。現存する新王国の神殿の典型例とされるという。正面の門はプトレマイオス3世エウエルゲテスが建造したもので、その道は[[ルクソール神殿]]につながる。 |- | |オペト神殿 |[[オペト]] |コンス神殿の西隣にある。祭神はオペト。オペトは[[オシリス]]の母神。プトレマイオス8世が建造した。 |- | |白い祠堂 |(聖舟祠堂) |元はアメン神殿の至聖所にあったという。第12王朝のセンウセルト1世の祝祭(セド祭)の際に聖舟を納めた殿舎。解体され、第3塔門の建材として転用されていたが、神域の北西隅に復元された。 |- | |赤い祠堂 |(聖舟祠堂) |第4塔門と第5塔門の間にある2基のハトシェプストのオベリスクの中間にあったとも考えられている。第18王朝のハトシェプストの聖舟を納めた殿舎。祝祭(セド祭)に使われたか。神域の北西隅に復元された。 |- | |トトメス3世の祠堂 |(聖舟祠堂) |第4塔門の前方にあった。第18王朝のトトメス3世の聖舟を納めた殿舎。祝祭(セド祭)に使われたか。解体され、第3塔門の建材として転用されていたが、神域の北西隅に復元された。 |- | |アメンホテプ1世の祠堂 |[[アメン]] |当初の位置は不詳。祭神はアメン神。第18王朝のアメンホテプ1世が建造した。解体され、第3塔門の建材として転用されていたが、神域の北西隅に復元された。 |- | |アメンホテプ2世の祠堂 |(聖舟祠堂) |当初の位置は不詳。第18王朝のアメンホテプ2世の聖舟を納めた殿舎。祝祭(セド祭)に使われたか。神域の北西隅に復元された。 |- | |トトメス4世の祠堂 |不詳 |元はアメン神殿の東側にあった。神域の北西隅に復元された。 |- |ムト神殿 |[[ムト神殿]] |[[ムト]] |祭神はムト。ムトは地母神であり[[テーベ]]の守護神で、アメン神の妃神でコンスの母。ムトはセクメトと同一視されたため、700体ものセクメト像が見つかっている。 |- | |コンス・パ=ケレド神殿 |[[コンス]]・パ=ケレド |祭神は「子供のコンス」(コンス・パ=ケレド)。A神殿 |- | |ラムセス3世神殿 |不詳 |第20王朝のラムセス3世が建造した。 |- | |ネクタネボ2世神殿 |不詳 |第30王朝のネクタネボ2世が建造した。 |- | |聖池 | |三日月形の池がある。イシェルと呼ばれた。 |- | |アメン=カムテフ神殿 |[[アメン]]=カムテフ |神域の外側に隣接。祭神は「自らの母親の雄牛のアメン」(アメン=カムテフ)。カムテフも太陽神とされる。 |- | |聖舟祠堂 |(聖舟祠堂) |神域の外側に隣接。ハトシェプストとトトメス3世が建造した。 |- |モンチュ神殿 |[[モンチュ神殿]] |[[モンチュ]] |祭神は軍神モンチュ。 |- | |マアト神殿 |[[マアト]] |祭神はマアト。マアトは[[ラー]]の御子神で、法・真理・正義を司る女神。 |- | |ハルパラー神殿 |[[ハルパラー]] |祭神はハルパラー。ハルパラーはモンチュの御子神。 |- | |聖池 | | |- | |トトメス1世神殿 |不詳 |外側に隣接。第18王朝のトトメス1世が建造か。 |- |アテン神殿 |[[ルクソールのアテン神殿|アテン神殿]] |[[アテン]] |アメン神殿の東側にあった。祭神は唯一神アテン。アマルナ革命を起こしたアメンホテプ4世(アクエンアテン)が建造したがその死後には徹底的に破壊されたらしい。 |} [[category:エジプト共和国ルクソール県]]
カルナック神殿
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