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ドゥルーズ派
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年8月20日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
ドゥルーズ派はイスラム教系の宗教宗派。起源はシーア派にあるがイスラム教の範疇に含めない見方が多い。現在のシリア、レバノン、イスラエルに分布する。ドルーズ派とも。
ハーキム()<996-1021>:ファーティマ朝の第6代カリフ。親族に暗殺されたといわれるが、ドゥルーズ派ではガイバ(お隠れ)の状態にあるとされている。
目次 |
祖師
5人の宗教指導者をハムサ・フドゥードと呼ぶ。
- ハムザ・ブン・アリー:緑。アクル(普遍的叡智)。
- イスマイール・タミーミー:赤。ナフス(普遍的霊魂)
- ムハンマド・ワッハーブ・カラシィー:黄。カリマ(言葉)?
- サマーラ・サムーリー:青。サービク(先行者)?
- バハーウッディーン・サムキ:ムクタナー。白。ターリー(追従者)?
礼拝所
- マジュリス:公的な礼拝所。集団礼拝は木曜の夕方に特定の信者のみで行う。
- ハルワ:私的な礼拝所。
ドゥルーズ派はモスクを持たない。メッカの方向に礼拝することもない。礼拝所は2種類あり、マジュリスがハルワに変わることもあれば、逆もある。ウッカールと呼ばれる階層にしか参入は許されておらず、信者9割を占めるジュッハールは宗教行事に参加することができない。
聖者廟一覧
聖者廟(聖廟)はマカーム、マザールという。奉斎の対象はドゥルーズ派の祖師に限らず、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通する人物や、アラブ地域で広く信仰されている伝説的な人物も含まれる。聖者廟は正式な教義に含まれない存在だが、しかしドゥルーズ派の大多数の信者は礼拝所に入ることを禁止されているので、ドゥルーズ派全員が参加できる社会的交流の場として重要な役割を果たしていると考えられている。
- アイン・ザマーン廟:シリア。スウェイダー市近郊。ハムザを祀る。周辺12箇所の廟の中で一番大きい。ビザンツ時代にあったサンナーン修道院の跡地。「時の泉」を意味する。
- バハーウッディーン廟:シリア。フブラーン村にある。バハーウッディーンを祀る。
- アル・フドゥル廟:シリア。テル・シャアフの丘にある。「緑の人」(アル・フドゥル、アル・ハディル、アル・ヒドゥル)を祀る。
- シーハーン廟:シリア。
- アル・マシーフ廟:シリア。シャハバー近くの小高い丘にある。預言者イエスを祀る。
- アル・バルヒー廟:シリア。
- ハーリディーヤ廟:シリア。
- アブドゥマール廟:シリア。
- アン・ナビー・アイユーブ廟:シリア。アイユーブ(旧約聖書のヨブに当たる)を祀る。
- アブー・アル・フッル廟:シリア。
- アン・ナビー・イーリヤー廟:シリア。アッ・シュビーキー村にある。イーリヤー(旧約聖書のエリヤに当たる)を祀る。イーリヤーは「緑の人」と同一とも認識されている。
- オマール・ブン・ヤーシィル廟:シリア。
- アン・ナビー・アイユーブ廟:レバノン内部ニーハー近郊にある。アイユーブ(旧約聖書のヨブに当たる)を祀る。レバノンのドゥルーズ派にとって最も重要な聖者廟という。年に一度の例祭はシュアイブ廟と並び、ドゥルーズ派における賑やかな祭礼として知られる。
- アン・ナビー・ヒドゥル廟:イスラエル北部カフル・ヤシーフにある。「緑の人」(アル・フドゥル、アル・ハディル、アル・ヒドゥル)を祀る。
- アン・ナビー・ヤヒヤー廟:ダマスカス。ウマイヤモスク内。洗礼者ヨハネ(イエスに洗礼を行った人物)を祀る。同モスクの管理下にあるが、ドゥルーズ派においても信仰を集めて参詣する者が少なくない。
- アン・ナビー・ハービール廟:ザバダーニー近郊にある。ハービール(旧約聖書のアベルに当たる)を祀る。
- アン・ナビー・シュアイブ廟:ガラリヤ湖の近く。シュアイブ(旧約聖書のモーセの義父イェスロに当たる。)を祀る。年に一度の例祭(西暦4月25日)はアイユーブ廟と並び、ドゥルーズ派における賑やかな祭礼として知られる。
(宇野昌樹1999「知られざる信仰―ドゥルーズ派に見る聖者崇拝・聖廟参詣」)
資料
- 東亜研究所1942『ドゥルーズ派の成立と展開 : シリヤ史の一断面』[1]
- 石川純一1983「データバンク―ドルーズ派」[2](デジコレ国会限定)
- 広河隆一1984「ドルーズ派の人々」[3](デジコレ国会限定)
- 宇野昌樹1989「ドルーズ教徒の歴史と社会 : シリアのJabal ad-Drûze」
- 宇野昌樹1995「イスラームと輪廻転生観」[4]
- 宇野昌樹1996「タキーヤに関する一考察:ドルーズ派に見るタキーヤ実践」
- 宇野昌樹1996『イスラーム・ドルーズ派』中東パレスチナ選書
- 宇野昌樹1997「19世紀シャーム地方ジャバル・ドルーズに見る人口移動と社会変動 : ドルーズ派コミュニティ社会の構造変動と農民一揆」[5]
- 宇野昌樹1999「知られざる信仰―ドゥルーズ派に見る聖者崇拝・聖廟参詣」
- 宇野昌樹2000「マイノリティ研究としてのドゥルーズ派研究」『中東研究』461
- 菊地達也2001「初期ドゥルーズ派における輪廻思想とタキーヤの成立」『イスラム世界』57
- 菊地達也2001「初期ドゥルーズ派における悪の原理」『日本中東学会年報』16[6]
- 菊地達也2007「ハムザ書簡群に見るドゥルーズ派終末論の形成過程」『東洋文化』87
- 菊地達也2016「現代ドゥルーズ派の自己表象」『変革期イスラーム社会の宗教と紛争』明石書店
- 菊地達也2017「『英知の書簡集』の宇宙創成論 : 「真理の開示」翻訳 (1)」
- 菊地達也2019「『英知の書簡集』の宇宙創成論 : 「真理の開示」翻訳 (2) 」[7]
- 川口奈穂・三好恵真子2015「ゴラン高原におけるドルーズ派コミュニティの生活空間とゆらぎ : 境界に生きる人々」[8]
- ジェラード・ラッセル、臼井美子訳2016『失われた宗教を生きる人々 中東の秘教を求めて』「第4章ドゥルーズ派」