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ミャンマー仏教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年5月6日 (水)

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ミャンマー仏教は、ミャンマーに伝わる南伝仏教の一つ。

目次

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国外

  • 世界平和パゴダ:北九州市

歴史

パガン朝

ピンヤ朝

サガイン朝

タウングー朝

コンバウン朝

イギリス植民地時代

独立後

  • 1947年:独立憲法を公布。政教分離を定めた世俗国家ではあるが仏教に対し、「特別な名誉ある地位」を認める。
  • 1950年:「仏教評議会」設置。
  • 1951年:「サンガ裁判所法」制定。
  • 1952年:「パーリ語教育法」制定。
  • 1954年5月:第6回仏典結集。2年間続く。
  • 1961年:改定憲法を公布。仏教を国教に規定。「仏教は最大多数の国民によって信仰されている宗教であるため国教である」とする。同年、「国教振興法」制定。
  • 1965年:「仏教保護法」廃止。社会主義政権により仏教優遇を剥奪していく。
  • 1973年:社会主義憲法、公布。仏教に関する全ての文言と規程を削除。しかし社会の実態と乖離。伝統的仏教から逸脱した宗教者の登場や出家者の不法商業活動などが横行。伝統的にサンガの成員は「市民的死亡者」であり、世俗の司法権が及ばないとされてきたため、政権にとっても、仏教界にとっても面目を保てなくなっていった。
  • 1980年:「サンガ裁判所」復活。
  • 1980年5月24日-27日:政府後援で仏教界主催の第1回「全宗派合同会議」を開催。「国家サンガ大長老会議」を設置し、既存9宗派を一元化。仏教界の自浄と社会の安定による政権の維持を目指した。政治権力と宗教権威の協調が図られた。しかしながら主導権は、宗教界ではなく政府にあった。
  • 1990年10月20日:全宗派合同会議参加以外の僧侶集団を解散命じる。これを法制化した「サンガ組織法」が10月31日に制定。
  • 1991年5月:宗教省に宗教布教推進局設置。国境地帯・辺境地帯の非仏教国民の仏教化支援に国費を投入。
  • 1995年:第4回「全宗派合同会議」開催。
  • 2006年:ネピドーに遷都。
  • 2008年:新憲法公布。仏教に対し、「特別な名誉ある地位」を認めたのは独立憲法と同じだが、「宗教とは仏教、イスラーム教、キリスト教、ヒンドゥー教およびアニミズムを意味する」として「可能な限り援助し保護する」とし、他の既存宗教についても配慮した。仏教重視政策をとりながら、政権が仏教に一段と深く関与する方針を取った。仏教は政権を正統化する思想ではなくなっており、政教分離の世俗国家の中で、国民統合と政情安定の方向に向かって仏教の立ち位置がある。
  • 2009年:ネピドーにシュエダゴン寺院を創建。


  • 奥平龍二2014「現代ミャンマー世俗国家の特質について─新憲法(2008年)の「宗教関連条項」および「前文」を中心に」[1]

宗派

  • ツーダンマ派:宗教会議派とも。第五回仏典結集に参加した宗派。
  • シュエジン派:シュエージン派。ビルマ人。
  • マハードワーヤ派:
  • ムーラドワーヤ派:
  • アナウチャウンドワーヤ派:
  • ウェルウン派:
  • フンゲトウィン:ゲトウィン派
  • ガナヴィムックドー派:
  • マハーイェン派:タイ仏教のタマユット派。マハーイン。


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