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一向門流

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2022年2月24日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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一向門流一向俊聖(1239-1287)を祖とする浄土教の流派。滋賀県米原市の番場蓮華寺を本山とし、山形県天童市の仏向寺を第二の拠点とする。しばしば混同されるが一遍を祖とする時宗とは異なる。また「一向宗」とも呼ばれたため、浄土真宗と混同されることも多かった。一向派と呼ばれることが多いが、時宗の一流派とみなしての呼び方と考えられるので本サイトでは一向門流と呼称する。


一遍は浄土宗西山派の聖達の門下だが、一向は浄土宗鎮西派良忠の門下であり、法脈が異なる。開祖時代から門弟を「時衆」(時宗ではない)と称し、時宗と同じく阿弥衣を着用し、遊行と踊躍念仏を行うために昔から混同され、江戸時代には徳川幕府の政策により、時宗の一派とされてしまった。時宗と異なり、賦算は行わない。 南北朝時代から室町時代中期までが全盛期だったが、本願寺蓮如の活発な布教活動により蓮華寺を中心とした近江・北陸の門弟は本願寺教団に吸収されたとみられる。一向の墓は蓮華寺にあるが、出羽仏向寺が東北地方で教線を広げて多くの末寺を擁したため、蓮華寺派(一向派)と仏向寺派(天童派)で本末を争う。江戸時代に幕府の裁定により蓮華寺が本山と定められた。江戸時代より、時宗から離れ、浄土宗鎮西派に接近する動きを見せており、明治以降も時宗からの独立運動を続け、宗教団体法施行を機に1942年(昭和17年)に一部の寺院を残して時宗を離れ現在は浄土宗知恩院派に所属して活動している。しかし、浄土宗に吸収され、一向門流としての独自性は薄れつつあるようにも考えられる。

目次

歴史

  • 1239年(延応1年):一向誕生。
  • 1259年(正元1年):一向、良忠に師事。
  • 1273年(文永10年):一向、遊行を始める。
  • 1274年(文永11年):一向、大隅八幡宮で神託を得る。
  • 1276年(建治2年):寺伝によると宇都宮一向寺を創建。
  • 1278年(弘安1年):寺伝によると、一向、源頼直に迎えられて出羽国最上郡成生に仏向寺を創建(のち天童に移転)。
  • 1284年(弘安7年):一向、坂田郡番場米山の麓に草堂で念仏。草堂の主の畜能・畜生と豪族土肥元頼が帰依して滞在を決める。土肥元頼の寄進で蓮華寺を創建。
  • 1287年(弘安10年)11月18日:一向、蓮華寺で死去。49歳。(仏向寺の伝承では仏向寺で死去したことになっている)
  • 一向高弟の行蓮、仏向寺を建てる。その門下が出羽国に次々と寺院を建てるがその多くに善光寺如来が伝わっており、善光寺信仰を足場に布教していったらしい。
  • 1304年(嘉元2年)9月:鎌倉幕府、諸国巡歴するものを取り締まり、「一向衆」と称すものは巡歴の有無を問わず禁止した。12月、大谷廟堂唯善専修寺顕智に手紙を送り、真宗との混同に注意を促している。
  • 1309年(延慶2年)1月11日:蓮華寺、勅願所の綸旨を賜う。
  • 1321年(元亨1年):本願寺覚如、真宗門徒と一向衆の混同を正すように幕府に上申。
  • 1333年(元弘3年/正慶2年)5月:北条仲時ら蓮華寺のそばで自決。3世同阿は死者430人に阿弥陀仏号を与えて陸波羅南北過去帳に記入した。
  • 1333年(元弘3年/正慶2年)5月18日:鎌倉前浜一向堂の前で新田義貞と北条方の合戦。
  • 1490年(延徳2年):蓮如、御文に「それ一向宗といふは時衆方の名なり。一遍一向これなり。其源は江州番場の道場、これ即ち一向宗なり」(帖外御文)と記す。
  • 戦国時代:蓮如の布教により近江・北陸の一向門流が本願寺教団に吸収されたとみられる。
  • 1562年(永禄5年)10月15日:蓮華寺、正親町天皇から勅願所の綸旨を賜う。
  • 1600年(慶長5年)9月25日:蓮華寺23世同阿健梁、徳川家康に十念を授ける。
  • 1684年(貞享1年):小栗一向寺と宇都宮一向寺が蓮華寺に対して本末争論を仕掛ける。なぜ一向寺が自らを本山とする主張を行ったのか不明。蓮華寺が「一向派惣本寺」とし、両一向寺は蓮華寺末とされた。
  • 1686年(貞享3年):今度は仏向寺が蓮華寺の対して本末争論を仕掛けて、幕府の裁定で蓮華寺が本山となる。
  • 1687年(貞享4年)3月18日:蓮華寺、掟書を定めて末寺統制をはかる。
  • 1697年(元禄10年):時宗遊行派日輪寺呑了が『時宗要略譜』を記し、一向を一遍の弟子と記し、一向派と天童派を時宗の一派と記す。この時には時宗に組み込まれていた。「一向派」という言葉はこの時初めて使われたという。
  • 江戸時代中期:『八葉山蓮華寺末寺帳』に154寺記載。
  • 1736年(元文1年)3月20日:蓮華寺、仏向寺に宗規を令達する(山形県史資料編。同書では遊行派が発したことになっているが蓮華寺の誤り)。
  • 1760年(宝暦10年)11月:蓮華寺32世同阿、晋山の時、参内して小御所で拝謁。
  • 1788年(天明8年):時宗触頭日輪寺が末寺帳を幕府に提出。一向派・天童派として97寺を記載。
  • 1788年(天明8年):「時宗一向派下寺院牒」(弘長寺本)に蓮華寺1寺、蓮華寺塔頭21軒(寺名不明)、蓮華寺直末31寺、蓮台寺末1寺、宇都宮一向寺末1寺、仏向寺末46寺、計101寺を記す。
  • 1859年:「蓮華寺末寺帳」(仏向寺誠阿弁良が綾小路家に提出)は109寺を記す。
  • 1942年(昭和17年)3月7日:一向派寺院浄土宗帰属について浄土宗と時宗が折衝して合意(浄土宗近代百年史年表)。
  • 1942年(昭和17年)6月6日:蓮華寺・仏向寺など57寺が転属(浄土宗近代百年史年表)。時宗にとどまった寺院もある。
  • 1942年(昭和17年)6月7日:蓮華寺で奉告法要(浄土宗近代百年史年表)。
  • 不詳:蓮華寺、浄土宗本山に昇格する。
  • 1996年9月:高野坊遺跡から一向27年忌に関わる大量の墨書礫が出土。

一覧

本山・地方本寺級

  • 蓮華寺:滋賀県米原市番場。一向が創建。一向の墓所。浄土宗本山。番場蓮華寺。
  • 仏向寺:山形県天童市小路。一向が創建したと伝える。山形県に多くの末寺を持った。現在は浄土宗の一般寺院。
  • 宇都宮一向寺:栃木県宇都宮市西原。時宗。
  • 小栗一向寺:茨城県筑西市小栗。一向門下の世無畏が創建。小栗助重の菩提寺という。浄土宗。

蓮華寺末

  • 箕浦成福寺:滋賀県米原市箕浦か。蓮華寺6世同阿(1358-1422 )の自坊。以後、蓮華寺歴代を輩出。廃絶か。
  • 寺倉満福寺:滋賀県米原市寺倉か。蓮華寺9世の自坊。廃絶か。
  • 柏原長福寺:滋賀県米原市柏原。蓮華寺10世の自坊。浄土宗。
  • 朝妻善法寺:滋賀県米原市朝妻か。一向門下の向仏が創建。廃絶か。
  • 多門寺:滋賀県米原市枝折。一向門下の俊阿が創建。廃絶。米原市立河南小学校付近が跡地という。醒井多門寺。
  • 長福寺:滋賀県米原市柏原。創立不詳。浄土宗。(寺院明細帳)
  • 龍沢寺:滋賀県米原市梓河内。創立不詳。浄土宗。(寺院明細帳)
  • 蓮華庵:滋賀県米原市長岡。創立不詳。1873年(明治6年)庵号許可。現存不詳。(寺院明細帳)
  • 浄光寺:滋賀県長浜市高月町落川。創立不詳。浄光庵。現在は単立か。(寺院明細帳)
  • 上坂蓮生寺:滋賀県長浜市西上坂・東上坂周辺。近江国坂田郡。蓮華寺5世同阿(1328-1416 )が創建。廃絶か。
  • 小足生久寺:滋賀県長浜市南小足町か。蓮華寺14世(1401-1479 )の自坊。廃絶か。
  • 願蓮寺:滋賀県長浜市今川町付近か。蓮華寺17世の自坊。近江国坂田郡福能部庄。廃絶か。
  • 安養寺:滋賀県犬上郡多賀町河内。浄土宗。(寺院明細帳)
  • 真福寺:滋賀県犬上郡多賀町河内か。現存不詳。(神社寺院大正6年11月祠堂宇に関する調査書(犬上郡役所))
  • 眼蔵院:滋賀県犬上郡多賀町河内か。現存不詳。(神社寺院大正6年11月祠堂宇に関する調査書(犬上郡役所))
  • 阿弥陀寺:滋賀県愛知郡愛荘町愛知川か。一向門下の戒阿が創建。愛智川阿弥陀寺。廃絶か。
  • 阿弥陀寺:滋賀県蒲生郡竜王町弓削。蓮華寺7世の自坊。現在は天台真盛宗
  • 梅原宝蔵寺:不詳。蓮華寺8世の自坊。
  • 津島蓮台寺:愛知県津島市弥生町。一向門下の弥阿(?-1318)が創建。一向坐像、弥阿坐像(1347年(貞和3年)銘)が伝わる。東御堂。1954年(昭和29年)浄土宗に転属。
  • 津島西福寺:愛知県津島市西御堂町。一向門下の弥阿(?-1318)が創建。尾張名所図会に1348年(貞和4年)創建とある。津島七党の堀田家の菩提寺。堀田道空、堀田正秀の位牌がある。幕末の老中堀田正睦が冠と扇を寄進。1636年(寛永13年)焼失以後衰退。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊。1907年(明治40年)再建。西御堂。1954年(昭和29年)浄土宗に転属。
  • 静岡宝樹院:静岡県静岡市葵区沓谷。善光寺信仰。蓮華寺20世の自坊。足利尊氏の子の竹若の菩提寺。今川家の庇護を受けた。新善光寺とも。
  • 一向寺:岐阜県。美濃国安八郡河崎。不詳。一向門下の讃阿が創建。廃絶か。
  • 蓮華院:岐阜県本巣市根尾か。一向門下の看阿が創建。廃絶か。
  • 真養寺:三重県いなべ市員弁町楚原。1574年(天正2年)、蓮華寺住職麟龍が引退して白蓮華院を建てたが1621年(元和7年)に改宗して東本願寺末となり、1683年(天和3年)寺号を与えられた。真宗大谷派


旧仏向寺末

善光寺信仰に関わる寺院が多いことが指摘されている、

  • 石仏寺:山形県天童市高擶北。1283年(弘安6年)一向の創建と伝える。1393年(明徳4年)忍阿が再興。文明年間、高擶城の築城に伴い現在地に移転。旧地にも井戸と石碑が残る。かつて善光寺如来(1266年(文永3年)銘)があり、阿弥陀如来は横浜の真言宗千手院の本尊として、観音菩薩日蓮宗小湊誕生寺に伝わる。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 正明寺:山形県山形市十日町。仏向寺役寺。是阿(1336年(延元1年)死去)が創建。永禄年間、最上義光が現在地に移転。義光の子の疱瘡を治したという双盤鉦が伝わる。義光は「鉦」に32石を寄進したという。仏向寺住職になるには正明寺に入る必要があったという。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 西光寺:山形県山形市小白川町。1381年(永徳1年)創建。最上義光から10石寄進され近世も継承。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 称念寺:山形県山形市長町。1376年(永和2年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 向谷寺:山形県山形市中野。1462年(寛正3年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 阿弥陀寺:山形県山形市十文字。善光寺信仰。1299年(正安1年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 清雲寺:山形県山形市高沢。時宗。寺伝によると1279年(弘安2年)に一向が建てたという。
  • 源福寺:山形県山形市蔵王成沢。1305年(嘉元3年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 宝徳寺:山形県寒河江市慈恩寺。慈恩寺子院。慈恩寺関連旧跡。慈恩寺最上院の支配下にあった。1376年(天授2年/永和2年)仏向寺8世が創建。浄土宗。
  • 松蔵寺:山形県寒河江市慈恩寺。慈恩寺子院。1480年(文明12年)頃創建。仏向寺16世法阿を勧請開山とした。
  • 満福寺:山形県寒河江市寒河江。仏向寺末だったが天正年間に澄江寺末となり曹洞宗
  • 清水寺:山形県寒河江市日和田。専阿(1412年(応永19年)死去)が創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 誓願寺:山形県寒河江市白岩。善光寺信仰。浄土宗。
  • 本願寺:山形県寒河江市本町。仏向寺役寺。1299年(正安1年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 塩常寺:山形県村山市河島乙。善光寺信仰。浄土宗。
  • 松念寺:山形県村山市大槇。浄土宗。
  • 満願寺:山形県東村山郡中山町長崎。1385年(至徳2年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 来迎寺:山形県東村山郡中山町小塩。1376年(永和2年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 龍徳寺:山形県東村山郡山辺町山辺。1541年(天文10年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 浄土寺:山形県東村山郡山辺町山辺。1393年(明徳4年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 西蔵寺:山形県西村山郡河北町谷地乙。1337年(延元2年/建武4年)創建。(仏向寺末開基録に記載)
  • 長延寺:山形県西村山郡河北町谷地戊。仏向寺役寺。1293年(永仁1年)創建。時宗。(羽州仏向寺末開基録)
  • 誓願寺:山形県西村山郡河北町谷地戊。永和年間創建。浄土宗。(羽州仏向寺末開基録)
  • 西光寺:山形県上山市石崎。仏向寺役寺。善光寺信仰。1288年(正応1年)創建。浄土宗。
  • 宝泉寺:山形県上山市金瓶北。善光寺信仰。1295年(永仁3年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 守源寺:山形県東根市蟹沢。歎阿が1367年(貞治6年)創建。浄土宗。(仏向寺血脈譜に記載)
  • 西興寺:山形県東根市本丸西。1368年(正平23年/応安1年)創建。浄土宗。
  • 長源寺:山形県東根市長瀞。1288年(正応1年)創建。浄土宗。(仏向寺末開基録に記載)
  • 宝泉寺:山形県長井市今泉。廃絶か。(時宗一向派仏向寺長井中末寺書上に記載)
  • 蓮花寺:秋田県由利本荘市花畑町。1625年(寛永2年)創建。戊辰戦争戦死者の墓がある(官修墳墓?)。浄土宗。

その他

  • 出羽国酒田寺:山形県酒田市か。不詳。蓮華寺22世(1497-1592 )の自坊。
  • 東漸寺:山形県天童市貫津上貫津。廃絶。一向の血脈を得て龍女が昇天したという伝説がある。
  • 学牛往生寺:宮城県加美郡色麻町王城寺か。『仏向寺血脈譜』は遊行3世存阿(?-1311)が学牛往生寺開山と記すが色麻往生寺(曹洞宗)にはそのような伝はなく、法然門下の金光が創建したと伝える。
  • 光見寺:茨城県下館市樋口。1492年(明応1年)創建。1649年(慶安2年)徳川家光が5石寄進。時宗。
  • 蔵福寺:茨城県下館市甲西町。蓮華寺2世尊覚慈心(不詳)が1325年(正中2年)諸国遊行の最中に岡芹村八丁台の地蔵堂に阿弥陀三尊を祀ったのが始まりという。1630年(寛永7年)、藩主水谷勝隆が現在地に移転させた。朱印地10石。浄土宗。
  • 古河一向寺:茨城県古河市長谷。弘安年間、一向が創建したと伝える。(猿島郡郷土大観)
  • 長楽寺:栃木県宇都宮市。廃絶。1404年(応永11年)宇都宮満綱が一向寺4世を開山として創建。銅製阿弥陀如来像が一向寺に伝わる。1889年(明治22年)廃絶。
  • 本願寺:栃木県宇都宮市塙田。蓮華寺29世(1653-1721)の自坊。時宗。
  • 堀米一向寺:栃木県佐野市堀米町。1275年(建治1年)一向が念仏堂を建てたのが始まりと伝える。衆人の懇請により一向は鉦と源信自筆の阿弥陀仏画像3幅を与えた。1284年(弘安7年)、礼智阿を迎えて伽藍を建立。1379年(康暦1年)の板碑がある。専修院。山号は東福山。浄土宗。(栃木県史寺院編)
  • 総州藤枝道場:不詳。「総州」といえば千葉県だが、藤枝は静岡県。一向門下の礼阿が創建。廃絶か。
  • 武蔵村岡法蔵寺:遊行4世願阿(?-1363)が創建。廃絶か。
  • 西御門・来迎寺:神奈川県鎌倉市西御門。一向創建と伝える。乱橋近くにあったというなら材木座の来迎寺のほうが該当するか一向創建と伝えるのは西御門の来迎寺という。時宗。
  • 向福寺:神奈川県鎌倉市材木座。一向創建と伝える。時宗。
  • 鎌倉・光照寺:神奈川県鎌倉市山ノ内。一向創建と伝える。時宗。
  • 清光寺:新潟県南魚沼市浦佐か。一向門下の解意阿が創建。浦沢清光寺。廃絶か。
  • 善光寺療病院:長野県長野市元善町。一向門下の養阿が善光寺付近に創建。廃絶か。
  • 信濃・十念寺:長野県長野市南長野西後町。遊行4世願阿(?-1363)が創建。
  • 尼崎道場:兵庫県尼崎市。不詳。一向門下の光阿が創建。廃絶か。
  • 光福寺:鳥取県八頭郡若桜町高野。廃絶。1280年(弘安3年)の一向の因幡国遊行が機縁となって建てられたとみられる。1280年(弘安3年)銘の太鼓が松江玉作湯神社に伝わる。
  • 清海寺:香川県。不詳。一向が1275年(建治1年)に建てたと伝記にある。

資料

古典籍

  • 『一向上人伝』:近世以降の写本しか現存しない。大正大学図書館本(1690年(元禄3年)書写)。『一遍聖絵』を参考に作成された節があるという。
  • 『仏向寺本一向上人伝』:江戸時代末の書写。仏向寺蔵。5巻。
  • 『仏向寺縁起羽州化益伝』:仏向寺蔵。1293年(永仁1年)の奥書があるが、仏向寺が本山であることを否定された1687年(貞享4年)以降の作とみられる。
  • 『一向上人臨終絵』:蓮華寺旧蔵本(個人蔵)。
  • 『一向上人臨終記』:写本は明石法音寺旧蔵本(現存不詳)、市姫金光寺本(1916年(大正5年)に遊行64世尊昭筆写本より書写)。
  • 『称阿瑞夢記』:称阿著。一条冬良筆。
  • 『元祖一向上人宗脈口訣』:
  • 『蓮華寺縁起』:東園基賢著。
  • 『蓮華寺縁起別記』:
  • 『一向上人血脈譜』:
  • 『八葉山蓮花寺末寺帳』:
  • 『陸波羅南北過去帳』
  • 「蓮華寺歴代名簿」:宇都宮一向寺蔵。
  • 『近江国八葉山蓮華寺縁起』:[1]
  • 「近江国番場蓮華寺鐘銘」[2]
  • 小川寿一編・竹内禅真監修1983『浄土宗本山蓮華寺史料』蓮華寺寺務所
  • 小川寿一編1986『一向上人の御伝集成』蓮華寺寺務所
  • 大橋俊雄編1993『明治期一向派史料』:
  • 『時宗一向派起源抄』
  • 佐原窿応編1886『葉山古錦』[3][4]
  • 『一向派浄土宗帰入関係史料』
  • 『近江国番場宿蓮華寺過去帳』[5]:「陸波羅南北過去帳」
  • 「十一条誡勧軌」
  • 「仏向寺血脈譜」:山形県史資料編に所収
  • 「仏向寺明細簿」:1887年(明治20年)8月。『天童市史編集資料』33
  • 「宝樹山称名院仏向寺縁起」:『天童市史編集資料』33
  • 「天童落城並仏向寺縁起」:『天童市史編集資料』22
  • 「天童仏向寺末寺開基録」
  • 文化庁1974「仏向寺踊躍念仏」『無形文化財記録.芸能編3(民俗芸能風流・東日本)(別冊)』
  • 山形県天童市教育委員会1997『高野坊遺跡発掘調査報告書』[6]
  • 東北芸術工科大学歴史遺産学科荒木研究室2007『佛向寺の墓標調査報告書:天童市域における墓標の成立と展開』
  • 『宝樹山称名院仏向寺血脈譜写』:西沢文書
  • 『時宗一向派仏向寺長並中末寺書上』
  • 『仏向寺末開基録』:蓮華寺蔵
  • 「二祖礼智阿上人消息」
  • 「時宗一向寺由来」
  • 「蓮華寺寺院明細帳」[7]
  • 「(末寺帳)鎮西流時宗一向派」明治5年、金光寺蔵。

文献

  • 高井景成1937「時宗教団史の一考察:特に一向派と遊行派との関係に就て」『鴨台史報』5
  • 1942『近江国坂田郡志』「蓮華寺」[8]
  • 大橋俊雄1951「一向上人:番場遊記」『浄土』17
  • 大橋俊雄1963『番場時衆のあゆみ』:初のまとまった研究書。
  • 大橋俊雄1978『一遍と時宗教団』
  • 大橋俊雄1994『佐原窿応上人』一向寺
  • 大橋俊雄1999『浄土宗本山蓮華寺』
  • 1955「東村山郡天童町仏向寺碑」『山形県文化財調査報告書』6
  • 伊藤真徹1964「一向上人と踊躍念仏」[9]
  • 森暢1964「一向上人の臨終絵と画像」『國華』869(森暢『鎌倉時代の肖像画』に再録)
  • 1966「仏向寺縁起について」『民間念仏信仰の研究資料編』
  • 誉田慶恩・横山昭男1970「仏向寺と時衆」『山形県の歴史』
  • 田中久夫1972「一向上人俊聖の一史料」
  • 金井清光1975『時衆と一遍教団』
  • 徳田浩淳1975「一向寺の歴史」『下野歴史』41(1976『一向寺の歴史と文化財』に再録)
  • 徳田浩淳1975「一向寺の文化財」『下野歴史』41(1976『一向寺の歴史と文化財』に再録)
  • 梯実円1975「礼智阿消息の真偽について」『竜谷教学』10
  • 1984『天童市史:別巻下文化・生活篇』「仏向寺」
  • 河野憲善1988「一向上人の念仏思想」『藤沢市史研究』21
  • 竹田賢正1989「村山地方の時宗一向派について」
  • 清水信亮1989「一向上人研究ノート」『時宗教学年報』17
  • 1997『成生庄と一向上人:中世の念仏信仰』天童市立旧東村山郡役所資料館
  • 長澤昌幸1999「一向上人研究序説(1)『一向上人伝』について」『時宗教学年報』27
  • 長澤昌幸2010「一遍教学の一試論:一向俊聖との比較を中心に」[10]
  • 古賀克彦2000「佐原窿応と山崎弁栄:近代「時宗」の様相」『印度學佛教學研究』[11]
  • 古賀克彦2013「「近侍者記録」に見る天保年間の番場・天童関係記事:付天明元年の市屋金光寺関係記事と新女院使来山記事」『寺社と民衆』9
  • 竹内真道2004「蓮華寺蔵『元祖一向上人御絵伝五巻』(五巻伝)について」
  • 村木志伸2005「佛向寺の墓石調査について」『山形県地域史研究』30
  • 2006『法灯連綿清照山一向寺』
  • 峯崎賢亮2007「時宗一向派第四十五世同阿作一向上人行状和讃について」『時宗教学年報』35
  • 島遼伍2009『名門下野宇都宮家二十二代記位牌寺一向寺』
  • 井澤隆浩2015「一向諸伝の成立について」『寺社と民衆』11
  • 井澤隆浩2017「一向俊聖伝の考察:『一向上人縁起絵詞』を中心として」
  • 坂本要2016「踊り念仏の種々相(2):導御・一向・一遍・他阿」『筑波学院大学紀要』11
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%80%E5%90%91%E9%96%80%E6%B5%81」より作成

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