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一念寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月21日 (土)
一念寺は、京都市伏見区下鳥羽南三町にある浄土宗寺院。法然が讃岐配流の途中で滞在した旧跡とされる。本尊の阿弥陀如来は鳥羽の大仏と呼ばれる。中興の後亀山天皇皇子の真阿が水葬された、門前の鴨川畔は真阿ケ淵と呼ばれる。東大寺関連旧跡。浄土宗知恩院派。応声院。山号は聴徳山。
歴史
674年(天武3年)、道昭が創建し、元興寺に属する法相宗の寺だったと伝える。 1207年(承元1年)の建永の法難で法然が讃岐に流される時に滞在した旧跡という。 熊谷直実が開山とも伝え、法然が直実に与えた「名残の名号」が伝わるという。
室町時代、後亀山天皇皇子の真阿(1376-1440)(1385年(元中2年/至徳2年)生まれとも)は誓願寺38世恵空道禅に師事して出家。室町将軍足利義教の帰依を受けた。1437年(永享9年)(1431年(永享3年)とも)、法然の旧跡の荒廃を悲しみ、真阿は一念寺を再興し、浄土宗に転じた。本尊の阿弥陀如来の巨像は定印を結ぶ丈六の巨像で東大寺念仏堂から奉遷したとされる。
真阿は1440年(永享12年)になくなった後、遺言により、一念寺の向かいの鴨川畔で水葬された。 その鴨川畔は「真阿ケ淵」と呼ばれ、永く殺生禁断の地とされた。真阿の墓は京都・十念寺に建てられた(現存不詳)。
真阿は浄土宗西山派の僧だったが、現在の一念寺は浄土宗鎮西派に属す。
(現地解説版、新纂浄土宗大辞典ほか)