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三河・上宮寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月24日 (土)

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上宮寺(じょうぐうじ)は、愛知県岡崎市上佐々木町梅ノ木にある三河一向一揆の拠点となった浄土真宗寺院。勝鬘寺本証寺と共に三河三カ寺とされ、本宗寺も加えて徳川家康軍と戦った。三河七箇寺の一つ。真宗大谷派佐々木上宮寺。聖徳皇院と号す。山号は太子山。(参考:同名寺院上宮寺

598年(推古6年)聖徳太子が巡教の際に自作の太子像と阿弥陀如来像を祀った。701年(大宝1年)元興寺道空が堂宇を建てた。のち比叡山延暦寺善林坊の源智という僧が伽藍を造営し、天台宗寺院としたという。 蓮行1235年(嘉禎1年)(1232年(貞永1年)とも)、柳堂親鸞に帰依。その弟子の佐々木盛綱は蓮願と称して上宮寺を継ぎ、住職家の祖となる。 当初は和田門徒系だったが、1461年(寛正2年)以前には本願寺に属し、如光は蓮如の側近の重鎮として本願寺教団を支え、1465年(寛正6年)の延暦寺からの弾圧でも活躍した。1484年(文明16年)時点で三河64寺、尾張41寺の末寺を擁した(如光弟子帳)。

1563年(永禄6年)の三河一向一揆では徳川家康と戦う。 1564年(永禄7年)2月28日、家康に降伏して和睦を結び、長島に逃れた。1574年(天正2年)長島一向一揆で敗れた。 1585年(天正13年)10月28日、徳川家康から復帰を認められ、三河国全国の真宗の取り纏め役となった。 1587年(天正15年)9月、教如が訪問。 明和年間、本堂再建。 近代には仏教学者佐々木月樵を出す。 1996年本堂再建

組織

歴代住職

主に真宗年表による。世数は要検討

世数 名前 生没 在職 略歴
1 聖徳太子
2 道空
空心
道半
円覚
良欽
源智
23 蓮行 ?-1233 安藤教房とも、安藤祐綱とも。三河の真宗寺院の開山には安藤姓が多い。23世とも24世ともいう。三河柳堂親鸞に帰依したという。1233年(天福1年)11月3日死去か。親鸞に帰依したのは1235年(嘉禎1年)ともいう。
24 蓮願 ?-1244 佐々木盛綱。源頼朝の家臣という。西念。蓮行の弟子。実際は妙源寺念信の弟子と考えられる。1244年(寛元2年)6月12日死去と伝える。
25 蓮智 ?-1264 1264年(文永1年)死去。
26 順如
27 如秀 ?-1345 1345年(興国6年/貞和1年)死去。
28 如玄 ?-1362 1362年(正平17年/貞治1年)死去。
29 如全 ?-1417 1417年(応永24年)4月10日死去。1421年(応永28年)死去とも。
30 如光 1417-1468 中興。1417年(応永24年)生。「油ケ淵」から出現。龍神の子という。蓮如を支えた。1468年(応仁2年)11月1日死去。油ケ淵近くの応仁寺如光堂がある。
31 如順尼 ?-1471 1471年(文明3年)8月24日死去。如光の妻。俗名は角殿。
32 如慶尼 ?-1528 如光と如順尼の娘。1473年(文明5年)生(?)。1528年(享禄1年)1月25日死去。56歳。
33 如舜 ?-1526 蓮如の孫。幼名は幸寿丸。1526年(大永6年)8月26日死去。
34 勝祐 1503-1574 勝鬘寺了勝の弟。1503年(文亀3年)生。1563年(永禄6年)からの三河一向一揆に参戦。敗退後は長島に籠城。1574年(天正2年)9月30日、苅安賀の専称坊で戦死。72歳。
35 信祐 1542-1574 1542年(天文11年)生。三河一向一揆敗退後は長島一向一揆に参戦。1574年(天正2年)9月30日、苅安賀の専称坊で戦死。33歳。
36 尊祐 1563-1604 信祐の子。本願寺の血を引くとも。1563年(永禄6年)生。幼名は幸松丸。1575年(天正3年)1月13日得度。1604年(慶長9年)9月14日死去。円光院と号す。
37 教祐 1586-1662 1586年(天正14年)生。幼名は幸珍丸。1596年(慶長1年)得度して院家となる。1662年(寛文2年)死去。83歳。円明院と号す。
38 了祐 1620-1678 教祐の次男。尾張円明寺住職。1620年(元和6年)生。1678年(延宝6年)12月16日死去。永昌院と号す。
39 如祐 ?-1727 1727年(享保12年)8月8日死去。幽玄院と号す。
40 一祐 ?-1731 1731年(享保16年)7月9日死去。
41 真祐 ?-1757 1757年(宝暦7年)5月24日死去。幽栖院と号す。
42 従祐 ?-1788 盛幸。1788年(天明8年)9月14日死去。徳風院と号す。
43 乗祐 ?-1790 次盛。1790年(寛政2年)3月12日死去。徳達院と号す。
44 乗繁 ?-1826 1826年(文政9年)7月27日死去。昌善院と号す。
45 佐々木達義 ?-1871 1871年(明治4年)2月14日死去。速証院と号す。
46 佐々木厳祐 ?-1892 1892年(明治25年)8月17日死去。権少講義[1]
47 佐々木現祐 ?-1935 1935年(昭和10年)12月20日死去。
佐々木秀鳳
佐々木月樵 1875-1926 仏教学者。安城願力寺の出身。1875年(明治8年)生。1892年(明治25年)得度。1898年(明治31年)上宮寺に入る。1900年(明治33年)真宗大学卒業。浩々洞を立ち上げる。1906年(明治39年)真宗大学研究院卒。同年、真宗大学教授。1907年(明治40年)擬講。1917年(大正6年)上宮寺副住職。1918年(大正7年)嗣講。1921年(大正10年)沢柳政太郎らとヨーロッパ視察。1924年(大正13年)1月8日、大谷大学学長。1926年(昭和1年)3月6日死去。52歳。前日付で講師の号を授与。真教院と号す。
51 佐々木宣祐 2019- 2019年(令和1年)上宮寺住職。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E3%83%BB%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E5%AF%BA」より作成

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