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三論宗
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
三論宗
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'''三論宗'''(さんろんしゅう)は、『中論』『十二門論』『百論』を所依の経典とする[[仏教]]の[[宗派]]。インドの[[中観派]]の系譜を引き継ぎ、般若経の「空」の教えの精髄を示しているとされる。中国の吉蔵を開祖とする。古代日本には高句麗僧の恵灌が最初に伝え、元興寺流と大安寺流が成立し、成実宗を寓宗としたという。のち東大寺東南院を本寺とするが、教団としては途絶した。しかし、空の教えを説く般若心経は日本仏教のほとんどで受容されている。 == 歴史 == == 一覧 == ===中国=== *[[草堂寺]]: *[[棲霞寺]]: *[[興皇寺]]: *[[会稽・嘉祥寺]]: *[[揚州・慧日寺]]: *[[日厳寺]]: ===日本=== *[[元興寺]]: *[[大安寺]]: *[[東大寺東南院]]: *[[勧修寺]]: *[[醍醐寺]]: *[[禅林寺]]: ==人物== ===インド=== *[[文殊菩薩]]:凝然の『八宗綱要』で三論宗の「高祖」とされる。 *馬鳴(1世紀-2世紀頃):凝然の『八宗綱要』で三論宗の「次祖」として挙げられている。アシュバゴーシャ。仏教詩人。カニシカ王の顧問となる。著作に『ブッダチャリタ』『サウンダラナンダー・カービヤ』。馬鳴菩薩。 *[[龍樹]](150-250頃):ナーガールジュナ。『中論』『十二門論』を著す。 *提婆(2世紀-3世紀頃):アーリヤデーバ。聖提婆。『百論』を著す。スリランカ(あるいは南インド)の王の子として生まれたが出家し、龍樹の弟子となった。他の学説を激しく批判したため暗殺されたという。著作には他に『四百論』『百字論』がある。『智心髄集』の著者も提婆とされるが、後世の仮託という。 ===中国=== *[[鳩摩羅什]](344-413):中論、十二門論、百論を漢訳する *僧朗(5世紀頃):高句麗出身。[[建康]][[棲霞寺]]で華厳・三論を講じた。南北の2派に分かれていた三論の学を統一したという。一説に僧朗以前の三論宗を古三論と呼び、僧朗以後を新三論と呼ぶ。 *僧詮(): *法朗(507-581):僧詮の弟子。建康[[興皇寺]]に住す。 *[[吉蔵]](549-623):三論宗宗祖。法朗の弟子。『中論疏』『十二門論疏』『百論疏』『三論玄義』を著す。[[会稽・嘉祥寺]]に住し、[[揚州・慧日寺]]と長安[[日厳寺]]を開く。嘉祥大師。 ===日本=== *恵灌(生没年不詳):日本三論宗の開祖。高句麗の僧。吉蔵の弟子。[[元興寺]]に住した。たびたび祈雨の霊験を示したという。晩年は河内に[[井上寺]]を建てて隠棲した。 *福亮(生没年不詳):呉出身の僧侶。吉蔵に学ぶ。息子の智蔵と共に来日。大化元年に定められた十師の一人となる。658年、中臣鎌足に招かれ、山階寺で維摩経を講じる(興福寺維摩会の起源)。 *智蔵():元興寺流。福亮の子。呉出身。慧灌に学び、のち入唐して吉蔵に学ぶ。 *道慈():大安寺流 *善議(729-812) *勤操(): *智光(): *泰善(): *安澄(): *玄叡(): *願暁(): *[[聖宝]](): *聖守(): *観理(): *覚樹(): *永観(): *慧珍(): *珍海(): *英憲(): *英訓():
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