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三重県護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月5日 (水)

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三重県護国神社(みえけん・ごこくじんじゃ)は、三重県津市広明町にある、県内の戦没者などを祀る招魂社内務大臣指定護国神社別表神社。初名は表忠社。占領下での名称は三重神社

目次

祭神

  • 37柱(1911年(明治44年)『靖国神社誌』)
  • 59332柱(1984年(昭和59年)『靖国神社百年史』)
  • 60337柱(境内表示。1996年(平成8年)1月1日)
  • 60344柱(2003年(平成15年)『全国護国神社一覧』)

内訳

  • 元治元年禁闕闖入事変:3
  • 戊辰の役:37
  • 西南の役:347
  • 日清戦争:290
  • 日露戦争:2553
  • 朝鮮事件:13
  • 台湾事件:42
  • 日独戦役:141
  • 満州及上海事変:53
  • 日華及大東亜戦争:56858
  • 総数:60337

(1996年(平成8年)1月1日現在)

歴史

  • 1869年(明治2年)11月23日:津藩主藤堂高猷が津八幡宮内に小祠を建て戊辰戦争の戦没藩士を祀ったのが起源。この時は表忠社と称した。
  • 1874年(明治7年)3月:官祭となる。
  • 1875年(明治8年)10月:招魂社と改称。
  • 1886年(明治19年):西南戦争戦没者を合祀。
  • 1901年(明治34年)6月:官祭招魂社と称す。
  • 1902年(明治35年):日清戦争などの戦没者を合祀。
  • 1909年(明治42年)9月:現在地に遷座。同時に日露戦争などの戦没者を合祀した。
  • 1910年(明治43年)11月13日:皇太子時代の大正天皇が三重県に行啓の際、東宮侍従を差遣して幣饌料を奉納。
  • 1911年(明治44年)5月:植民地制圧での死者を合祀。
  • 1915年(大正4年)7月:第一次世界大戦の戦没者などのほか、1864年(元治1年)京都御所で戦死した桑名藩士も合祀。
  • 1939年(昭和14年)4月1日:内務省告示142号で指定護国神社となった。三重県護国神社と改称した。
  • 1945年(昭和20年)7月27日:空襲で本殿と神饌所を残して焼失。
  • 1946年(昭和21年)12月26日:三重神社と改称した
  • 1953年(昭和28年)11月2日:三重県護国神社と復した。
  • 1957年(昭和32年)6月10日:別表神社加列。
  • 1957年(昭和32年)10月21日:本殿など造営。
  • 1975年(昭和50年)10月:昭和天皇参拝。
  • 1983年(昭和58年)3月:本殿改修。

(神社ウェブサイト、三重県神社誌ほか)

境内

  • 本社:1957年(昭和32年)の再建。第59回式年遷宮で撤下された伊勢神宮外宮の東宝殿。
  • 儀式殿:第59回式年遷宮で撤下された伊勢神宮外宮の四丈殿。

組織

宮司

  • 仲公()<>:朝鮮神宮に奉職後、大邸神社宮司、京城神社宮司を歴任。
  • 林栄治(1902-1972)<1954-1972>:神社本庁10代事務総長。1954年(昭和29年)9月、三重県護国神社宮司就任。1972年(昭和47年)5月30日死去。
  • 宇治土公貞幹(1924-2011)<1972->:神社本庁長老。猿田彦神社宮司。1972年(昭和47年)10月10日就任。
  • 原光夫()<>:2017年(平成29年)退任。2019年(令和1年)宮司代務者。
  • 中野雅史()<>:2017年(平成29年)就任。2019年(令和1年)1月逮捕。


  • 1919『三重県神社誌』「官祭招魂社」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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