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上徳寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[file:4115486A-5D86-4113-B57C-E06B6A35D2F5.jpeg|thumb|400px|永観堂から移築された本堂]] [[file:043FBF31-9AC9-4F34-9B3F-C2C8C3B0CC9B.jpeg|thumb|400px|地蔵堂]] '''上徳寺'''は京都府京都市下京区本塩竈町にある[[徳川家]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。境内の地蔵堂は'''世継地蔵'''として知られる。霊光院。山号は塩竈山(えんそうざん)。 この付近は陸奥国塩竈の情景を模した[[河原院]]の跡地とされる。 1603年、伝誉一阿蘇生が[[徳川家康]]の帰依を受けて創建。家康側室の阿茶局(雲光院、上徳院)が開基となった。伝誉は阿茶局の叔父に当たる。家康は本尊像を近江の鞭崎八幡宮から移したという。この像は近江国守佐々木判官が祈願し、[[八幡神]]の神勅が下り、[[快慶]]が彫ったものという。鎮守として[[塩竈神社]]を勧請した(現存不明)。 1656年、八幡の清水という者が世継の誕生を願って本堂に参籠すると7日目に夢中に[[地蔵尊]]が現れ、その姿を石に刻んで、堂を建てて祀った。これが世継地蔵の始まりで、子孫繁栄し、信仰を集めた。 享保年間にも住職に世継地蔵の夢告があり、ますます信仰が広がった。現在の地蔵堂は明治4年の再建。2月8日に世継地蔵大祭が行われている。 1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。 幕末には[[明治天皇]]生母の中山慶子が信仰を寄せたという。 現在の本堂は[[禅林寺]]祖師堂(1753年建立)を移築したものという。 子院徳林院は1913年(大正2年)に大阪府に移転したというが、現在も同名寺院が隣接する。 他に子院として泰栄院があった。阿茶局墓、堀内雲鼓墓がある。 (日本歴史地名大系、由緒書ほか) <Gallery widths="200" heights="150" perrow="2"> file:04BB5D08-34AF-4332-957A-2EF6506998A3.jpeg|扁額「塩竈山」 file:F3DDC9A1-EB5D-4309-9C87-A457E0BD250E.jpeg|門 file:95AC632B-59FA-49F1-B791-9B481D024101.jpeg| file:27E7EC86-8423-4E73-9673-D9FF016A5CA4.jpeg| file:E455753C-75B2-4B16-BFCE-3786E60C05FC.jpeg| file:03A88F87-903D-4E86-8853-CA0E8936715E.jpeg| file:7C1B8AC6-3395-4694-9860-1AEF31229F64.jpeg| file:DCD7FDFF-6821-445D-B28B-8BC6A946773D.jpeg|徳林院 </Gallery> [[category:京都府]]
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