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上社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2012年12月17日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
外宮摂社志等美神社の跡地に祀られた神社。祭神は「久久能智神、大山祇神、埴安神、宇迦之御魂神」などである。
元来は、外宮摂社志等美神社の鎮座地であったと考えられており、のち荒廃してその跡地に牛頭天王などが祀られたものと言われている。かつては「二俣社」「二俣八王子社」「牛頭社」などと呼ばれていた。また境内社の並社、山神社(現在、本社に合祀)の跡地がそれぞれ、外宮末社打懸神社、外宮摂社大河内神社の跡地と言われる。
明治3年11月、仏号禁止のため「上の社」と改称。明治4年11月2日、いったん郷社となったが、明治5年10月、村社に格下げされた。明治39年神饌幣帛料供進神社に指定された。明治42年、境内社3社と近隣の神社10社を合祀した。
祭神については、既述の通り、もとは牛頭天王だったようだが、この地が外宮摂社志等美神社の跡地だと考証されたことに基づいて、志等美神社祭神の久久能智神などに変更されたものと思われる。 また祭神のうち、大山祇神が、合祀された境内社山神社の祭神で、大河内神社の祭神にあたると思われるが、境内社並社祭神の埴安神が打懸神社祭神と関連付けられているのかはよく分からない。なお宇迦之御魂神は、合祀された境内社稲荷社の祭神。
外宮摂社志等美神社、外宮末社打懸神社、外宮摂社大河内神社は寛文3年に岩戸山に復興されたが、元禄6年に別地に遷座。さらに明治以後の考証でこの地が旧地とされたことから、当社境内の入口付近に遷座した。
『宇治山田市史』