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下野・薬師寺戒壇院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年7月24日 (月)

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薬師寺戒壇院(やくしじ・かいだんいん)は、栃木県下野市の下野・薬師寺にあった戒壇院東大寺戒壇院観世音寺戒壇院と共に三戒壇の一つ。

歴史

天平宝字5年(761)創建。平安時代以降、延暦寺戒壇院に押されて衰退。中世、密厳が薬師寺中興となり、戒壇院を復興。元亀元年(1570)小田原北条氏と結城氏の戦闘で焼失。 慶長年間に戒壇堂を再建した。

天和元年(1681)から享保4年(1719)までにかけて薬師寺の後身の下野安国寺下野・龍興寺が戒壇の帰属をめぐって争っている。天保9年(1838)和解が成立して戒壇は安国寺に帰属し、龍興寺は鑑真墓を守護するとされた。(日本歴史地名大系)

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