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下野・薬師寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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薬師寺(やくしじ)は、栃木県下野市にある薬師信仰の寺院。下野・薬師寺戒壇院は、三戒壇の一つ。鎮守は、薬師寺八幡宮道鏡旧跡下野・龍興寺道鏡墓下野安国寺。下野国の利生塔。(参考同名寺院薬師寺 (同名)

目次

歴史

680年(天武9年)の創建と伝わる。 天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を願って建てたという。 1966年(昭和41年)の発掘調査によると、南北330m、東西240mの堀があり、土塀が巡っていた。南大門、中門、五重塔、中金堂、東金堂、西金堂、講堂があったことが分かった。

762年(天平宝字6年)、鑑真が戒壇院を建立。 勝道が薬師寺で如宝に学ぶ。 770年(宝亀1年)、道鏡が薬師寺に左遷。 820年(弘仁11年)、空海が来訪。 1262年(弘長2年)、慈猛が薬師寺に住す。以後、真言宗となる。

1339年(延元4年/暦応2年)、足利尊氏は全国に安国寺利生塔を建てるにあたり、薬師寺を下野国の安国寺とし、下野国の利生塔を建てた。以後、寺名を安国寺と称するようになった。1750年(寛延3年)、焼失。

1921年(大正10年)3月3日、史跡指定。 1966年(昭和41年)、発掘調査。 2018年(平成30年)諸堂大修理を行い、安国寺から下野薬師寺に改称した。

境内

古代

  • 五重塔
  • 中金堂
  • 東金堂
  • 西金堂
  • 講堂
  • 南大門
  • 中門
  • 戒壇院

現代

  • 本堂
  • 山門
  • 六角堂:近世、戒壇院跡に建立。床下の土にインド・中国・日本の土を混ぜて使ったという。
  • 庫裏
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%8B%E9%87%8E%E3%83%BB%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%AF%BA」より作成

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