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不退寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''不退寺'''(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある、[[南都仏教]]・[[真言宗]]の寺院。本尊は[[聖観音]]。[[官寺]]二十五大寺の一つ。[[真言律宗西大寺派]]。不退転法輪寺。通称は業平寺。山号は金龍山。
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[[file:不退寺_(8).jpg|thumb|300px|不退寺・本堂]]
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'''不退寺'''(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある、[[南都仏教]]・[[真言宗]]の寺院。本尊は[[聖観音]]。[[平城天皇]]、[[阿保親王]]、[[在原業平]]の三代ゆかりの寺。[[官寺]]二十五大寺の一つ。[[真言律宗西大寺派]]。'''不退転法輪寺'''。通称は'''業平寺'''。山号は金龍山。
[[関東祈祷所]]。
[[関東祈祷所]]。
==歴史==
==歴史==
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寺伝によると、809年、平城天皇の譲位後に移り住んだ萱の御所が前身。皇子の阿保親王、皇孫の在原業平と伝えられ、847年、業平が寺とした。
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[[file:不退寺_(5).jpg|thumb|300px|不退寺・山門]]
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確実な初出は三代実録に860年10月15日に超昇寺と共に施入された記事。
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[[file:不退寺_(4).jpg|thumb|300px|不退寺・多宝塔下重]]
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1298年、忍性の請願で関東祈祷所となる。
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[[file:不退寺_(1).JPG|thumb|150px|不退寺・在原業平墓]]
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1317年、現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。
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[[file:不退寺_(7).jpg|thumb|300px|不退寺・石棺]]
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1464年、焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。
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[[file:不退寺_(6).jpg|thumb|100px|不退寺・寺標]]
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寺伝によると、809年(大同4年)、[[平城天皇]]の譲位後に移り住んだ'''萱の御所'''が前身。御所は皇子の阿保親王、その王子の在原業平と伝えられた。、業平は伊勢神宮に参詣。その時、天照大神の神勅を得て神鏡を授かった。そして847年(承和14年)、神鏡を奉じて御所を寺とし、観音像を彫って祀った。父の菩提寺とし、仁明天皇の勅願所となった。
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確実な初出は三代実録に860年(貞観2年)10月15日に[[超昇寺]]と共に施入された記事。
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1298年(永仁6年)、[[忍性]]の請願で関東祈祷所となる。この時までには[[西大寺]]末となっている。
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1317年(文保1年)、現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。
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1464年(寛正5年)、焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。
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1472年(文明4年)、関白鷹司房平が葬られたが、墓は現存せず。
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1602年(慶長7年)、寺領50石を寄進された。
本堂には業平自作と伝える本尊の観音の他、五大明王を祀る。
本堂には業平自作と伝える本尊の観音の他、五大明王を祀る。
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東脇には大神宮、西脇には阿保親王像、平城天皇位牌、大正天皇位牌、貞明皇后位牌などを祀る。
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東脇には[[大神宮]]、西脇には阿保親王像、伊都内親王位牌、平城天皇位牌、大正天皇位牌、貞明皇后位牌などを祀る。
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石棺がある。
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多宝塔は地蔵菩薩を祀る。上層部が失われている。
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また付近の古墳から出土した石棺が移されている。
裏山の墓地には在原業平供養塔がある。
裏山の墓地には在原業平供養塔がある。

2020年10月11日 (日) 時点における版

不退寺・本堂

不退寺(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある、南都仏教真言宗の寺院。本尊は聖観音平城天皇阿保親王在原業平の三代ゆかりの寺。官寺二十五大寺の一つ。真言律宗西大寺派不退転法輪寺。通称は業平寺。山号は金龍山。 関東祈祷所

歴史

不退寺・山門
不退寺・多宝塔下重
不退寺・在原業平墓
不退寺・石棺
不退寺・寺標

寺伝によると、809年(大同4年)、平城天皇の譲位後に移り住んだ萱の御所が前身。御所は皇子の阿保親王、その王子の在原業平と伝えられた。、業平は伊勢神宮に参詣。その時、天照大神の神勅を得て神鏡を授かった。そして847年(承和14年)、神鏡を奉じて御所を寺とし、観音像を彫って祀った。父の菩提寺とし、仁明天皇の勅願所となった。

確実な初出は三代実録に860年(貞観2年)10月15日に超昇寺と共に施入された記事。 1298年(永仁6年)、忍性の請願で関東祈祷所となる。この時までには西大寺末となっている。 1317年(文保1年)、現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。 1464年(寛正5年)、焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。 1472年(文明4年)、関白鷹司房平が葬られたが、墓は現存せず。 1602年(慶長7年)、寺領50石を寄進された。

本堂には業平自作と伝える本尊の観音の他、五大明王を祀る。 東脇には大神宮、西脇には阿保親王像、伊都内親王位牌、平城天皇位牌、大正天皇位牌、貞明皇后位牌などを祀る。 多宝塔は地蔵菩薩を祀る。上層部が失われている。 また付近の古墳から出土した石棺が移されている。

裏山の墓地には在原業平供養塔がある。 (『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%8D%E9%80%80%E5%AF%BA」より作成

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