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両忘庵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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両忘庵(りょうぼうあん)は千葉県茂原市本納にある居士禅道場。臨済宗系の居士禅教団両忘禅協会の本部。両忘禅庵。山号は臥龍山。

目次

歴史

山岡鉄舟、勝海舟、高橋泥舟、鳥尾得庵ら在俗の居士が麟祥院を会場に鎌倉・円覚寺の今北洪川(1816-1892)を招いて参禅し、両忘会と称したのが起源。今北洪川の死後、釈宗演(1859-1919)が指導者となる。1902年(明治35年)その弟子の釈宗活が谷中に両忘庵を建てた。実業家の安田善次郎の支援を受けた。1906年(明治39年)渡米布教。その後も各地に布教活動を続けて朝鮮、台湾、満洲にも広がる。1925年(大正14年)財団法人両忘協会を設立。釈宗活が総裁となる。1935年(昭和10年)両忘禅協会と改称。千葉県市川市国府台に本部道場を建設する。1947年(昭和22年)両忘禅協会を一時解散。1954年(昭和29年)釈宗活死去。

釈宗活の弟子の大木琢堂が活動を引き継ぎ、1955年(昭和30年)千葉県匝瑳市椿に宗教法人両忘禅協会を設立。総裁となる。1970年(昭和45年)千葉県茂原市本納に道場を建設。1974年(昭和49年)本納に財団法人両忘会を設立。1983年(昭和58年)諸堂を整備し、大木宗玄が継承。1988年(昭和63年)、坐禅堂が竣工し両忘禅協会の本部を本納に移転。式典には三笠宮寛仁親王が臨席した。1990年(平成2年)、米国バンクーバーに両忘庵USA設立。

伽藍

  • 舎利殿:皇居にあった近衛兵詰所を移築したもの。仏舎利と釈宗活を祀る。仏舎利は2010年(平成22年)に鎌倉円覚寺から分骨したもの。開山堂とも。
  • 本堂:鎌倉にあった山階宮家の持仏堂を移築したもの。山階宮武彦王と妃の佐紀子女王を祀る。ドラマ撮影に使われた利休像も祀る。
  • 坐禅堂:
  • 茶室:

組織

住職

  • 1釈宗活(1871-1954)<1902-1947>:釈宗演の法嗣。江戸出身。旧姓は入沢。1871年(明治4年)生。今北洪川、釈宗演に師事。1954年(昭和29年)7月6日死去。両忘庵と号す。
  • 2大木琢堂(?-1997)<>:1997年(平成9年)死去。
  • 3大木宗玄(?-2009)<>:2009年(平成21年)死去。
  • 4大木宗完()<>:

(「新古茶道具千翔堂ほり」[1]

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%A1%E5%BF%98%E5%BA%B5」より作成

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