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久能山東照宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年4月29日 (土)

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久能山東照宮(くのうさん・とうしょうぐう)は、静岡県静岡市駿河区根古屋(駿河国有度郡)にある東照宮。徳川家康の墓所。天台宗徳恩院が別当を務めた。徳川家徳川将軍家松平家も参照。 別格官幣社神社本庁別表神社。 社伝によると、徳川家康の遺骸は日光東照宮には改葬されず久能山東照宮の神廟に眠っているという。他の東照宮に比べると、埋葬時は吉田神道を用いたためなのか、当初は神主が統括したためなのか、寺院としての本堂にあたる仏堂がなく、神仏習合色が薄かった印象を受ける。4代目以降の歴代将軍の位牌が祀られていたかどうかはっきりしない。基本的に庶民は参詣できなかったため、巡礼地となることはなく、門前町は発展しなかった。

目次

奉斎

  • 東照大権現
  • 山王権現:現在は不明
  • 摩多羅神:現在は不明

歴史

境内

  • 本社:
  • 神廟:1640年に現在の石造宝塔に改築。
  • 本地堂:本尊は薬師如来。元和3年建立(寛永4年とも)。明治3年12月、仏尊を廃して山王権現の神霊を奉遷し、日枝神社となった。本尊は明治4年11月、大正寺に譲渡。
  • 神庫:宝蔵
  • 五重塔:本尊は五智如来。1636年1月建立。神仏分離で明治5年、廃絶
  • 鐘楼:現在は梵鐘は撤去されて代わりに太鼓が置かれて鼓楼となった。太鼓は江戸城にあったものと伝えられている。
  • 神楽所:
  • 御膳所:上御供所
  • 護摩堂:廃絶
  • 竈神社:祭神は火産霊命・奥津彦命・奥津姫命。1646年創建。荒神社。
  • 厳島神社:祭神は市杵島姫命。元は弁財天社。
  • 庚申社:庚申信仰。弁財天社と同殿だった。神仏分離で廃絶。青面金剛。
  • 日枝神社:祭神は大山咋命。元は小祠だったが、神仏分離後、旧本地堂を社殿とした。山王権現。
  • 楼門
  • 神厩
  • 愛宕社:祭神は火迦具土命。山上にあった。山中第一の古社とされる。元和7年8月再建。元禄13年7月13日再建。
  • 久能稲荷神社:祭神は保食神。元は山上の愛宕社の前にあった。神護景曇3年1月の鎮座と伝える。正保3年再建。明治17年9月15日の暴風で倒壊。厳島神社に合祀。
  • 御供所:元和3年建立。貞享4年改築。安政3年、地震で倒壊焼失。再建。
  • 久能山東照宮博物館:大正3年3月、宝物館を開館。のち改築。
  • 久能神社:祭神は久能忠仁。享和3年、玉泉院の裏に創建。明治年間に神厩の裏手に遷座。
  • 学頭屋敷:徳恩院の山上屋敷。神殿に東照宮神像を祀っていた。この神像は明治以後、山下神殿(徳恩院内神殿か)に奉遷し、明治20年4月、浜松東照宮に遷座した。
  • 目代屋敷:山上にあった。
  • 両大師堂:良源天海。山麓の徳恩院に隣接。廃絶か。この堂のみは普段から庶民の参詣が許されていたとみられ、クジが信仰を集めていた。
  • 御神殿:山麓徳恩院内にあった。台徳院と大猷院を祀っていた。他は不明。廃絶か。

関連旧跡

子院

  • 徳音院:別当および学頭。山下にあった。
  • 大寿院:古坊四院の一つ。
  • 三明院:古坊四院の一つ。
  • 定智院:古坊四院の一つ。
  • 宝性院:古坊四院の一つ。
  • 玉泉院:新坊四院の一つ。装束所
  • 林光院:新坊四院の一つ。
  • 松岩院:新坊四院の一つ。
  • 長円院:新坊四院の一つ。

組織

榊原家

当初は伊勢神宮祭主に擬して久能山東照宮「祭主」が置かれ、久能山東照宮を統括したが、2代目の時に辞任。久能山総門番として幕末に至った。

  • 榊原照久()<>:初名は清久。元和3年4月、祭主に就任。大内記。
  • 榊原照清()<>:正保3年11月、祭主に就任。寛文4年5月、総門番就任。越中守。
  • 榊原喬長()<>:元禄14年7月、総門番就任。越中守。
  • 榊原亮長()<>:享保4年3月、総門番就任。越中守。
  • 榊原照昌()<>:享保18年7月、総門番就任。
  • 榊原照休()<>:寛保3年12月、総門番就任。主馬。
  • 榊原久寛()<>:延享2年9月、総門番就任。越中守。
  • 榊原長良()<>:宝暦6年9月、総門番就任。越中守。
  • 榊原昭郷 ()<>:寛政4年12月、総門番就任。越中守。
  • 榊原照成()<>:
  • 榊原照方()<>:文政10年12月、総門番就任。越中守。織部。
  • 榊原照求()<>:安政6年5月、総門番就任。越中守。

別当

徳恩院#組織を参照。

宮司

  • 酒井忠績(1827-1895)<>:大老。姫路藩主。藩内の勤王派を弾圧。1868年10月、久能山取締。1895年11月30日死去。69歳。
  • 1榊原祐次郎(生没年不詳)<1873->:明治6年2月、久能山東照宮祠官。
  • 2出島竹斎(1816-1887)<1879->:1816年(文化13年)生。駿河農家出身。勝海舟、大久保一翁の信頼を得て民政に協力。1879年(明治12年)10月、久能山東照宮祠官。皇典講究分所所長。1887年(明治20年)8月25日死去。
  • 3三宅康保(1931-1895)<1887->:田原藩主。1831年(天保2年)生。1887年12月、久能山東照宮祠官。1888年5月、別格官幣社昇格にともない久能山東照宮宮司。1895年(明治28年)1月23日死去。
  • 4柳沢保申(1846-1893)<1889-1893>:郡山藩主。1846年(弘化3年)生。明治22年3月、久能山東照宮宮司。1893年(明治26年)10月9日死去。第68国立銀行を創設。伯爵。日光東照宮宮司。
  • 5酒井忠惇(1839-1907)<1893->:老中。姫路藩主。男爵。1893年(明治26年)10月、久能山東照宮宮司。
  • 6松平健雄(1873-1927)<1896-1900>:松平容保の子。1873年(明治6年)生。1896年(明治29年)1月久能山東照宮宮司。1900年(明治33年)9月18日から1916年(大正5年)8月8日まで伊佐須美神社宮司。1927年(昭和2年)死去。
  • 7近藤弘()<1900-1904>:1900年(明治33年)9月18日から1904年10月8日まで久能山東照宮宮司[1][2]。従六位。安倍郡長か。
  • 8宇都野正武(1843-)<1904-1924>:1843年生。内務省、東京府、静岡県に勤務。1890年12月27日、久能山東照宮禰宜。1904年10月8日から1924年6月20日まで久能山東照宮宮司[3][4]。従五位。『久能山小誌』を編纂。
  • 8杉江彦太郎(1874-)<1924-1937>:1874年生。1898年久能山東照宮主典。1904年禰宜。1924年6月20日、1937年11月29日まで宮司[5][6]
  • 9岩崎保治(?-1955)<1937-1955>:赤間宮宮司を経て1937年11月29日、久能山東照宮宮司[7]。1955年7月21日死去。
  • 10白井光男(1905-1974)<1962-1974>:神社本庁事務副総長。1962年(昭和37年)久能山東照宮宮司。在職中1974年5月3日死去。(略歴は穂高神社#組織を参照)
  • 11松浦国男(1916-2002)<>:
  • 12落合偉洲(1947-)<2002-2022>:1947年(昭和22年)生。神社本庁渉外部長・総務部長を歴任。2002年(平成14年)久能山東照宮宮司。
  • 13姫岡恭彦()<2022->:

画像

資料

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B9%85%E8%83%BD%E5%B1%B1%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE」より作成

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