ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

久遠寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2020年4月23日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内, 検索

久遠寺(くおんじ)は、山梨県南巨摩郡身延町の身延山にある日蓮宗本山寺院日蓮の墓所。日蓮宗久遠寺派の総本山。(参考:同名寺院久遠寺 (同名)

目次

概要

日蓮の墓所であり、日蓮が1274年(文永11年)から1282年(弘安5年)までの足掛け9年を過ごした地にある。

伽藍

身延山を参照。

組織

歴代住職

現在は「法主」と称す。

世数 法諱 生没年 在職年 略歴
1 日蓮 蓮長 1222-1282 日蓮宗開祖。1274年(文永11年)6月17日入山。1282年(弘安5年)9月、療養のため身延山を離れた。同年10月13日死去。61歳。
除歴 日興 1246-1333 ?-1284 六老僧の一人。1284年(弘安7年)頃、久遠寺を追放され、大石寺を開く。
2 日向 佐渡阿闍梨、安立院 民部公 1253-1314 1288-1314 六老僧の一人。1288年(正応1年)久遠寺住職。1314年(正和3年)9月3日死去。62歳。
3 日進 大進阿闍梨 三位公 生没年不詳 1313- 1313年(正和2年)(1314年(正和3年)とも)久遠寺住職。日蓮宗年表では「1271-1346」、日本人名大辞典では「1259-1334」。駿河正法寺開山。
4 日善 大宝阿闍梨 大進公 1271-1346 日蓮の弟子。日進の弟。1271年(文永8年)生。1334年(建武1年)、兄の死で久遠寺を嗣ぐ。身延山竹之房、駿河善立寺、遠江妙日寺の開山。1346年(正平1年/貞和2年)死去。大法阿闍梨日善(1263-1332)とは別人。
5 日台 鏡円阿闍梨 宮内卿 1321-1366 波木井家の出身。日善の弟子。1332年(元弘2年/正慶1年)入山?。1366年(貞治5年)3/7死去。46歳。
6 日院 実教阿闍梨 民部卿 1312-1373 波木井家の出身。1366年(正平21年/貞治5年)入山。1373年(応安6年)6/25死去。62歳。
7 日叡 上行院 1352-1400 1373- 池上5世。波木井家の出身。護良親王の王子という説がある。1373年(文中2年/応安6年)久遠寺住職。1400年(応永7年)5/7死去。49歳。
8 日億 行学院 1423-1422 波木井家の出身。1400年(応永7年)入山。1422年(応永29年)11/8死去。
9 日学 成就院 1386-1459 波木井家の出身。1422年(応永29年)入山。1459年(長禄3年)死去。74歳。学養寺開山とも。
10 日延 観行院 1430-1461 日蓮宗年表では「1431-1462」。1459年(長禄3年)入山。1462年(寛正3年)死去。32歳。
11 日朝 行学院 鏡澄 1422-1500 1462- 「身延中興三師」の一人。鎌倉本覚寺2世。現在地に伽藍を移して整備。1462年(寛正3年)久遠寺住職。1500年(明応9年)死去。79歳。加賀阿闍梨。
12 日意 円教院 法鏡 1444-1519 1499- 「身延中興三師」の一人。京都妙伝寺開山。1499年(明応8年)久遠寺住職。1519年(永正16年)死去。76歳。
13 日伝 実聚院 乗海 1472-1538 「身延中興三師」の一人。1538年(天文7年)死去。67歳。
14 日鏡 善学院 印英 1507-1559 西谷に善学院(西谷檀林)を設立。1559年(永禄2年)死去。53歳。
15 日叙 宝蔵院 1523-1577 武田信玄、穴山信君らの帰依を得る。1577年(天正5年)死去。55歳。
16 日整 琳珖院 琳〓 1503-1578 1578年(天正6年)死去。76歳。
17 日新 慈雲院 純慧 1535-1592 1592年(文禄1年)死去。58歳。
18 日賢 妙雲院 純性 1559-1599 1599年(慶長4年)死去。41歳。
19 日道 法雲院 1562-1601 1601年(慶長6年)死去。40歳。
20 日重 一如院 1549-1623 「宗門中興の三師」の一人。本満寺12世。1623年(元和9年)死去。75歳。
21 日乾 寂照院 孝順 1560-1635 1602- 「宗門中興の三師」の一人。不受不施派を弾圧して、久遠寺の教団内の中心的地位を築く。1602年(慶長7年)久遠寺住職。1635年(寛永12年)死去。76歳。
22 日遠 心性院 堯順 1572-1642 1604-1608 「宗門中興の三師」の一人。不受不施派を弾圧。1604年(慶長9年)久遠寺住職。西谷檀林を創設。1608年(慶長13年)隠退。池上本門寺貫主。1642年(寛永19年)死去。71歳。
23 日祝 慧眼院 1567-1615 1615年(元和1年)死去。49歳。
24 日要 願是院 観月 1575-1623 日蓮宗年表では「1576-1623」1623年(元和9年)死去。48歳。
25 日深 妙寂院 1574-1627 1627年(寛永4年)死去。54歳。
26 日暹 知見院 隆恕 1586-1648 1628- 本満寺11世。1628年(寛永5年)久遠寺住職。不受不施の取締を幕府に訴える。智見院。1648年(慶安1年)死去。63歳。
27 日境 通心院 叡長 1602-1659 1659年(万治2年)死去。58歳。
28 日奠 妙心院 義道 1601-1667 1667年(寛文7年)死去。67歳。
29 日莚 隆源院 春山 1609-1681 1667-1673 京都出身。1609年(慶長14年)生。鳴滝三宝寺で出家。初名は日延。和歌山藩の養珠院殿や金沢藩の寿福院殿の外護を得て中村檀林や小西檀林で学ぶ。28歳で小西檀林化主となる。のち中村檀林化主10世となる。妙法華寺19世、妙顕寺15世を経て1668年(寛文8年)(1667年(寛文7年)とも)久遠寺に住す。1673年(延宝1年)3月、飯高壇林15世の日通に譲り、京都に隠棲したが、1679年(延宝7年)2月、日通が死去すると後継者について争論が起こる。日脱を推薦する飯高壇林派と、古来の通りくじで選ぶべきだとする中村檀林派に分かれて紛糾。日莚の採決を仰いだところ、日莚はくじを支持した。しかし、これに納得いかない一派は訴訟に及び、幕府は日莚を江戸に召喚して尋問した。1679年(延宝7年)10月4日、幕府は日脱を後継者に選び、日莚は出羽秋田に流罪となった。秋田城二の丸の安楽寺に蟄居し、1681年(天和1年)1月27日死去。弟子の春道日晴らが密かに秋田に下り久城寺の子院に潜んで師の世話をした。矢橋村不動山で火葬しそこにを建てた。身延山、妙顕寺、妙法華寺、中村檀林、小西檀林に分骨した。春道日晴が久城寺の住職となり追善した。末流は発展し莚師法縁の縁祖として重視されるようになった。2015年(平成27年)5月27日、全国莚師法縁隆源会によって不動山の墓が改修された。(久城寺ウェブサイトほか)
30 日通 寂遠院 玄海 1614-1679 1679年(延宝7年)死去。66歳。
31 日脱 一円院 空雅 1626-1698 1679- 東山天皇から紫衣着用勅許を得る。立本寺22世。1679年(延宝7年)久遠寺住職。1698年(元禄11年)死去。73歳。
32 日省 智寂院 老弁 1637-1721 紫衣着用勅許。1721年(享保6年)死去。85歳。
33 日享 遠沾院 顗海 1646-1721 歴代の紫衣着用勅許を得る。京都・満願寺開山。1721年(享保6年)死去。76歳。
34 日祐 見龍院 龍海 1661-1737 1737年(元文2年)死去。77歳。
35 日竟 誠峰院 実等 1677-1734 1734年(享保19年)死去。58歳。
36 日潮 六牙院 海音 1674-1748 1736- 孝勝寺23世。多数の門弟を育て、学閥を形成。1736年(元文1年)久遠寺住職。1748年(寛延1年)死去。75歳。
37 日寛 薩心院 宣妙 1684-1750 1750年(寛延3年)死去。67歳。
38 日荅 広演院 高通 1678-1750 1750年(寛延3年)死去。73歳。
39 日総 貞明院 貞明 1669-1751 1751年(宝暦1年)死去。83歳。
40 日輪 円通院 〓学 1691-1754 1754年(宝暦4年)死去。64歳。
41 日妙 龍治院 宥種 1681-1757 1757年(宝暦7年)死去。77歳。
42 日辰 耐慈院 修海 1686-1765 1765年(明和2年)死去。80歳。
43 日見 理天院 理天 1693-1769 1769年(明和6年)死去。77歳。
44 日宝 綱晋院 海輪 1711-1769 1769年(明和6年)死去。59歳。
45 日応 寂隆院 智恩 1695-1773 1773年(安永2年)死去。79歳。
除歴/復歴 日唱 守慎 1778-1777 七面大明神を邪神と主張したため歴代から除かれたが近年復歴。1777年(安永6年)死去。
46 日〓 領峰院 湛如 1705-1778 〓は「詹+しんにょう」。1778年(安永7年)死去。74歳。
47 日豊 亮心院 玄妙 1713-1786 1786年(天明6年)死去。74歳。
48 日源 光漸院 会伝 1709-1794 1794年(寛政6年)死去。86歳。
49 日地 本義院 観十 1711-1800 1800年(寛政12年)死去。90歳。
50 日沾 教山院 教俊 1718-1798 1798年(寛政10年)死去。81歳。
51 日全 明静院 完妙 1726-1808 1808年(文化5年)死去。83歳。
52 日盛 聖樹院 本考 1732-1806 1806年(文化3年)死去。75歳。
53 日奏 上妙院 海雄 1732-1815 1815年(文化12年)死去。84歳。
54 日審 智辺院 顗厚 1737-1817 1817年(文化14年)死去。81歳。
55 日逞 潮文院 海郁 1740-1830 1830年(天保1年)死去。91歳。
56 日晴 太裕院 天中 1755-1826 1826年(文政9年)死去。72歳。
57 日舜 究竟院 義瑞 1754-1827 1827年(文政10年)死去。74歳。
58 日環 是運院 是運 1759-1841 1841年(天保12年)死去。83歳。
59 日詔 円中院 海錬 1764-1834 1834年(天保5年)死去。71歳。
60 日潤 一雨院 〓川 1759-1838 1838年(天保9年)死去。80歳。
61 日心 智了院 〓忍 1768-1842 1842年(天保13年)死去。75歳。
62 日扇 双樹院 智応 1773-1844 1844年(弘化1年)死去。72歳。
63 日闡 一乗院 観具 1769-1845 1845年(弘化2年)死去。77歳。
64 日仲 不老院 要順 1774-1846 1846年(弘化3年)死去。73歳。
65 日桂 普悟院 通寛 1771-1847 1847年(弘化4年)死去。77歳。
66 日薪 示宣院 〓説 1778-1854 1854年(安政1年)死去。77歳。
67 日〓 智鏡院 旭芳 1780-1858 1858年(安政5年)死去。79歳。〓は「木+盈」。
68 日実 慈祥院 友貞 1778-1860 1860年(万延1年)死去。83歳。
69 日琢 事感院 宣慶 1785-1864 1864年(元治1年)死去。80歳。
70 日祥 止明院 顗〓 1787-1872 1872年(明治5年)死去。86歳。
71 日祷 智現院 寿忍 1791-1871 1871年(明治4年)死去。81歳。
72 北風日健 獅晋院 光運 1791-1874 1874年(明治7年)死去。84歳。
73 新居日薩 文明院 文嘉 1830-1888 1888年(明治21年)死去。59歳。
74 吉川日鑑 自厚院 順誠 1827-1886 1876- 1876年(明治9年)久遠寺法主就任。日蓮宗年表では「1826-1886」。1886年(明治19年)死去。61歳。
75 三村日修 心妙院 円政・宴政 1823-1891 1886- 第8代日蓮宗管長。身延75世。本圀寺46世。備後出身。1823年(文政6年)生。9歳で備中妙伝寺で出家。京都妙覚寺日合に従う。1839年(天保10年)鶏冠井檀林に学ぶ。1845年(弘化2年)久我本清寺住職。金沢充洽園で日輝に学ぶ。中村檀林でも学ぶ。1860年(万延1年)備中妙伝寺住職となるが、再び江戸に出て中村正直に儒学を学ぶ。1872年(明治5年)宗教院教師。1873年(明治6年)大阪中教院講主。1878年(明治11年)12月本圀寺住職。1885年(明治18年)11月、日蓮宗管長。1886年(明治19年)7月13日、久遠寺に晋山。1888年(明治21年)宗規改正案を起草し諮問会を開くが異議が噴出して1890年(明治23年)6月、管長を辞任。久遠寺では宮内大臣から官有林の委託を取り付ける。1890年(明治23年)教区改正で身延大檀林が甲府に移転したため、代わりに宗義専門学校(現・身延山大学)を設置。1891年(明治24年)5月17日死去。69歳。(『日蓮宗本圀寺史料』)
76 中田日阜 春応院 秀泰 1836-1893 1893年(明治26年)死去。58歳。
77 物部日厳 境行院 一行 1848-1898 1898年(明治31年)死去。51歳。
78 豊永日良 智等院 一忍 1846-1909 1909年(明治42年)死去。64歳。
(久保田日亀) 妙地院 1841-1911 『望月仏教大辞典』では日亀を79代とする。中山法華経寺池上本門寺の住職。日蓮宗管長。
79 小泉日慈 本信院 寿山 1841-1923 1923年(大正12年)死去。83歳。
80 市川日調 寂中院 錬秀 1846-1932 1932年(昭和7年)死去。87歳。
81 杉田日布 智明院 湛誓 1855-1930 石橋湛山の実父。1930年(昭和5年)死去。76歳。
82 岡田日帰 慈厚院 教驚 1865-1932 1932年(昭和7年)死去。68歳。
83 望月日謙 一乗院 1865-1943
84 深見日円 1943-
85 増田日遠 1893-1969 1957-1959 第36代・第37代日蓮宗久遠寺派管長。日蓮宗久遠寺派宗務総監。身延85世。本圀寺56世。中山法華経寺128世。安房誕生寺住職。瑞輪寺住職。身延山総監。熊本市出身。1893年(明治26年)生。6歳で佐賀勝妙寺で得度。日蓮宗大学に学ぶ。1919年(大正8年)から1927年(昭和2年)まで荒行を五行成満。布施日健から伝師相承の印可を受ける。観乗寺、上聖寺、本行寺を歴任。1944年(昭和19年)谷中瑞輪寺住職。1951年(昭和26年)誕生寺住職。1957年(昭和32年)久遠寺85世。1959年(昭和34年)京都本圀寺56世。1963年(昭和38年)中山法華経寺128世。宗務所長、宗務総監、身延山総監、第36代・第37代日蓮宗管長を歴任。1969年(昭和44年)4月29日死去。77歳。(『日蓮宗本圀寺史料』)
86 藤井日静 1879-1971 1959- 望月日謙の弟子。満願寺住職。1959年(昭和34年)久遠寺法主。1963年(昭和38年)日蓮宗管長。1971年(昭和46年)12月27日死去。92歳。
87 望月日雄
88 望月日滋 太玄院 1901-
89 竹下日康
90 岩間日勇 1908-2001
91 藤井日光 1909-2006
92 内野日総 1926-
  • 『日蓮宗年表』「諸大本山歴世表」[1]、『日本仏家人名辞書』ほか
  • 「史料紹介 身延山歴代略譜」1[2]
  • 「史料紹介 身延山歴代略譜」2[3]
  • 「史料紹介 身延山歴代略譜」3[4]

院代など

以下、「奥院別当職歴代略譜『身延山史』[5]に基づく。

奥之院別当

以下、「奥院別当職歴代略譜『身延山史』[6]に基づく。

  • 覚林院日悦
  • 不惜院日命
  • 理運院日忍
  • 妙経院日誠
  • 長寿院日影
  • 清閑房
  • 円仁房日言
  • 恵秀院

(以下未入力)

七面山別当

顕是院日要の時代に法蔵院日照を七面山鎰取を定めたのに始まると考えられている。 以下、「七面山別当職歴代略譜『身延山史』[7]に基づく。

  • 法蔵院日照()<>:
  • 修善院日徳()<>:
  • 潮濤院日観()<>:
  • 寿遠院日長()<>:
  • 本善院日盛()<>:
  • 貞漸院日妙()<>:
  • 慈性院日帰()<>:
  • 浄妙()<>:
  • 大行()<>:
  • 漸成()<>:
  • 潮岸院日序()<>:
  • 蓮心院日行()<>:
  • 智登院粽〓()<>:
  • 智性院日逞()<>:
  • 智等院日寿()<>:
  • 妙応院日真()<>:
  • 中応院日運()<>:
  • 是諦院日研()<>:
  • 海運院日瑞()<>:
  • 太教院日清()<>:
  • 智玄院日是()<>:
  • 寛妙院日巡()<>:
  • 顗円院日報()<>:
  • 静養院日勝()<>:
  • 観厚院日容()<>:
  • 見如院日輝()<>:
  • 是諦院日研()<>:再任。
  • 太善院日大()<>:
  • 智逗院日照()<>:
  • 太善院日大()<>:再任。
  • 要中院日顕()<>:
  • 妙賢院日禎()<>:
  • 妙賢院日禎()<>:
  • 智等院日照()<>:
  • 智光院日顔()<>:
  • 諦中院日静()<>:
  • 鏡妙院日顕()<>:
  • 深妙院日秀()<>:
  • 円容院日妙()<>:
  • 小松海浄()<>:
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B9%85%E9%81%A0%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール