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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

亀山天皇陵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2020年6月26日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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亀山天皇陵

京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町にある亀山天皇陵墓天龍寺内にある。亀山陵

概要は後嵯峨天皇陵の項目を参照。亀山天皇(1249-1305)<1260-1274>は1305年(嘉元3年)9月15日に上皇として崩御。天皇遺骨は、遺詔によって五つに分けられ、三つは嵯峨に、残りは、南禅寺高野山に納められた(文久山陵図230)(このうち南禅寺法華堂は幕末に西本願寺によって修復が行われた。1866年(慶応2年)1月11日に完成の報告を行なっている(『本願寺秘史』))。また後嵯峨天皇・亀山天皇の火葬塚が天龍寺の西側の地に治定されている。文久の修陵で区画化され、周堀と外堤が造営された。しかし、両天皇が火葬された場所は本来は別の場所であったはずであるという(文久山陵図227)。


天龍寺内にある亀山天皇陵(西)と後嵯峨天皇陵(東)。(国土地理院空中写真より)


http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%80%E5%B1%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87%E9%99%B5」より作成

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