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五流太法院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
五流太法院
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'''五流太法院'''は岡山県倉敷市林にあった[[修験道]]寺院。[[五流尊瀧院関連旧跡]]。'''太法院'''、'''大法院'''。 701年(大宝1年)創建。開山は義玄。中興は隆禅。 ==組織== ===歴代住職=== *義玄()<>:開山。[[役小角]]の高弟。[[五鬼]]の一人。[[五流尊瀧院]]2世。 *芳海()<>:1002年(長保4年)、[[花山法皇]]の[[熊野]]先達を務めたという。(『長床縁由』) *玄印()<>:1164年(長寛2年)春の入峰で役者という職を務めた。(『山伏帳』) *隆禅()<>:中興。道乗の子。[[頼仁親王]]の孫。 *定仁?()<>:『熊野長床宿老五流』に名がある。 *宣重(宣宴?)(1418-1490)<-1466>:五流尊瀧院17世。(尊瀧院系図) *隆誉()<1446->:宣重の子。(尊瀧院系図) *増隆()<>:1582年(天正10年)から在京。1589年(天正17年)「堪忍領」を聖護院から認められた(「天和三年書上」)。 *増誉()<>:1664年の増誉の名による許状が伝わる。 *秀誉()<>:1687年(貞享4年)、道祐法親王の入峰に従う(『備陽記』『吉備温故秘録』) *信誉()<>:1698年(元禄11年)8月入峰。(『要覧』) *(信山)()<>:後継者。1722年(享保7年)8月、入峰。(『要覧』) *義誉()<>:1732年(享保17年)3月、葛城入峰。(『要覧』) *哲誉()<>:1745年(延享2年)8月入峰。(『要覧』) *永誉()<>:1810年(文化7年)8月入峰大宿。(『要覧』) *真海()<>:1817年(文化14年)入峰。1825年(文政8年)8月入峰して20日に宿老となる。(『要覧』) *哲昭()<>:1830年(天保1年)8月、初度入峰。1839年(天保10年)8月、宿老として入峰。(『要覧』) *貞海()<1863->:1849年(嘉永2年)3月、入峰初度。1863年(文久3年)7月25日、住職。(『要覧』) [[category:岡山県]]
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