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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

五流太法院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2020年8月16日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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五流太法院は岡山県倉敷市林にあった修験道寺院。五流尊瀧院関連旧跡太法院大法院

701年(大宝1年)創建。開山は義玄。中興は隆禅。

組織

歴代住職

  • 義玄()<>:開山。役小角の高弟。五鬼の一人。五流尊瀧院2世。
  • 芳海()<>:1002年(長保4年)、花山法皇熊野先達を務めたという。(『長床縁由』)
  • 玄印()<>:1164年(長寛2年)春の入峰で役者という職を務めた。(『山伏帳』)
  • 隆禅()<>:中興。道乗の子。頼仁親王の孫。
  • 定仁?()<>:『熊野長床宿老五流』に名がある。
  • 宣重(宣宴?)(1418-1490)<-1466>:五流尊瀧院17世。(尊瀧院系図)
  • 隆誉()<1446->:宣重の子。(尊瀧院系図)
  • 増隆()<>:1582年(天正10年)から在京。1589年(天正17年)「堪忍領」を聖護院から認められた(「天和三年書上」)。
  • 増誉()<>:1664年の増誉の名による許状が伝わる。
  • 秀誉()<>:1687年(貞享4年)、道祐法親王の入峰に従う(『備陽記』『吉備温故秘録』)
  • 信誉()<>:1698年(元禄11年)8月入峰。(『要覧』)
  • (信山)()<>:後継者。1722年(享保7年)8月、入峰。(『要覧』)
  • 義誉()<>:1732年(享保17年)3月、葛城入峰。(『要覧』)
  • 哲誉()<>:1745年(延享2年)8月入峰。(『要覧』)
  • 永誉()<>:1810年(文化7年)8月入峰大宿。(『要覧』)
  • 真海()<>:1817年(文化14年)入峰。1825年(文政8年)8月入峰して20日に宿老となる。(『要覧』)
  • 哲昭()<>:1830年(天保1年)8月、初度入峰。1839年(天保10年)8月、宿老として入峰。(『要覧』)
  • 貞海()<1863->:1849年(嘉永2年)3月、入峰初度。1863年(文久3年)7月25日、住職。(『要覧』)
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%94%E6%B5%81%E5%A4%AA%E6%B3%95%E9%99%A2」より作成

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