ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

交野天神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?歴史)
2行: 2行:
== 歴史 ==
== 歴史 ==
-
『続日本紀』によると、延暦4年11月10日、桓武天皇は中国皇帝に習って長岡京の南の「交野柏原」で郊祀を行った。これを交野天神社の起源とする記述は江戸時代の元禄15年の縁起が初出だという。元来、交野天津神、楠葉天神社、楠葉神社、天満宮などと呼ばれていた。嘉禎4年、現在の本社と境内社八幡神社の社殿を造営。応永9年に修復。石清水八幡の支配に属する神宮寺があった。明治5年、近くの春日神社と天満宮を合祀。明治21年2月、交野天神社に改称。
+
『続日本紀』によると、延暦4年11月10日、桓武天皇は中国皇帝に習って長岡京の南の「交野柏原」で郊祀を行った。郊祀は中国の秩序では天子にしか許されていない神事である。さらに延暦6年11月5日、天神に合わせて父帝光仁天皇を合わせ祀ったという。これを交野天神社の起源とする記述は江戸時代の元禄15年の縁起が初出だという。嘉禎4年、現在の本社と境内社八幡神社の社殿を造営。応永9年に修復。[[石清水八幡宮]]の支配に属する神宮寺があった。明治5年、近くの春日神社と天満宮を合祀。古くは交野天津神、楠葉天神社、楠葉神社、天満宮などと呼ばれていたが、明治21年2月、交野天神社に改称。
(日本歴史地名大系)
(日本歴史地名大系)
[[Category:大阪府]]
[[Category:大阪府]]

2018年6月3日 (日) 時点における版

交野天神社(かたの・てんじんしゃ)は、大阪府枚方市にある光仁天皇奉斎神社。桓武天皇旧跡。光仁天皇を主祭神として天児屋根命と菅原道真を合祀。村社。境内の継体天皇楠葉宮旧跡に枚方・貴船神社がある。末社として他に八幡神社がある。「かたのあまつかみのやしろ」とも読む。

歴史

『続日本紀』によると、延暦4年11月10日、桓武天皇は中国皇帝に習って長岡京の南の「交野柏原」で郊祀を行った。郊祀は中国の秩序では天子にしか許されていない神事である。さらに延暦6年11月5日、天神に合わせて父帝光仁天皇を合わせ祀ったという。これを交野天神社の起源とする記述は江戸時代の元禄15年の縁起が初出だという。嘉禎4年、現在の本社と境内社八幡神社の社殿を造営。応永9年に修復。石清水八幡宮の支配に属する神宮寺があった。明治5年、近くの春日神社と天満宮を合祀。古くは交野天津神、楠葉天神社、楠葉神社、天満宮などと呼ばれていたが、明治21年2月、交野天神社に改称。 (日本歴史地名大系)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%A4%E9%87%8E%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール