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京都・光福寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年8月13日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
光福寺(こうふくじ)は、京都府京都市左京区田中上柳町にある浄土宗寺院。空也堂と共に六斎念仏の本山だった。京都近辺の六斎念仏講を配下に置いた。江戸時代、六斎念仏が芸能化していく中で、光福寺は念仏としての行事を守ろうとしたため、衰退したという。斎教院、安養殿。山号は干菜山。通称は干菜寺(ほしなでら)。浄土宗知恩院派。(参考:同名寺院光福寺)
寺伝によると、元は山城国乙訓郡安養谷にあった。
証空の3世法孫の道空が中興した。
天文年間、当時の住職の信光が、斎教院を開き、それを1582年、宗心が現在地に移しさらに丹波にあった武蔵寺を合併させて、斎教院武蔵寺と称したという。
1637年、知恩院末となった。