ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
京都・円教寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
京都・円教寺
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
'''円教寺'''(えんきょうじ)は、京都府京都市右京区花園円成寺町にあった[[真言宗]]寺院。[[仁和寺]]の子院。廃絶。歴代天皇が創建した[[四円寺]]の一つ。長徳4年(998)創建した。 [[仁和寺関連旧跡]]。 (参考:同名寺院[[円教寺]]) == 歴史 == [[file:Kokudo0042.jpg|thumb|300px|龍安寺(国土地理院空中写真より)]] [[一条天皇]]の勅願で創建。 998年(長徳4年)1月22日、落慶法要。[[寛朝]]が導師を務めた。 1012年(長和1年)5月、一条天皇の一周忌を行った。 1013年(長和2年)6月22日、法華八講。以後毎年。火災で中断。 1018年(寛仁2年)閏4月12日、焼失。 1034年(長元7年)10月17日再建。丈六金色[[大日如来]]、[[薬師如来]]、[[釈迦如来]]、六天を祀る堂を建てた。 1045年(寛徳2年)2月、[[後朱雀天皇]]の遺骨を円教寺内に奉安(所在ははっきりしない。円乗寺陵)。 1055年(天喜3年)10月25日、後朱雀天皇遺命の新堂を建立して[[円乗寺]]と名付けた。 1068年(治暦4年)に崩御した[[後冷泉天皇]]は遺骨は円教寺に奉安された。陵の場所を明記した史料はないが、現在の[[後冷泉天皇陵]]は幕末に定められた場所で、円教寺陵と呼ばれている。 1107年(嘉承2年)に崩御した[[堀河天皇]]は[[香隆寺]]に一時納骨され、1113年(永久1年)に[[円融寺]]に改葬。 『本朝世紀』1149年(久安5年)12月25日条に[[堀河天皇陵]]を「後円教寺」と号すとある。 円教寺別当には寛助(1057-1125)、寛遍(1100-1166)がいた。 (『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』) [[category:京都府]]
京都・円教寺
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ