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京都・常楽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
京都・常楽寺
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[[file:京都常楽寺.jpg|thumb|300px|「常楽台」碑が建つ門前]] '''常楽寺'''(じょうらくじ)は、京都府京都市下京区にある、[[存覚]]ゆかりの[[浄土真宗]]寺院。[[浄土真宗本願寺派]]。'''常楽台'''。'''今小路常楽寺'''。(参考:同名寺院[[常楽寺]]) == 組織 == ===歴代住職=== *1[[存覚]](1290-1373): *2巧覚(1325-1391):光助。存覚の子。[[摂津・常楽寺]]を創建。 *3光覚(-1417-):忠誉。照覚。巧覚の子。[[延暦寺聖光院]]に住す。将軍護持僧。晩年に常楽寺に隠居。愚昧院と号す。 *4空覚():光宗(光崇)。本願寺6世巧如の次男。存如の弟。光覚の猶子。 *5蓮覚():光信(光真)。空覚の子。正室は[[蓮如]]の娘如慶。蓮如の命で[[大和・願行寺]]を兼務。常楽台を常楽寺に改めたとも。文明年間、山科に常楽寺を創建。越中[[証願寺]]に隠居。興正寺蓮教(経豪)の義父。子に[[光善寺]]2世の光淳、證願寺昭尋(実賢)。 *6如覚(1468-1527):兼忠。蓮覚の長男。1527年8月13日死去。60歳。 *7実乗(1490-1534):光恵。如覚の子。正室は蓮如末娘の妙宗。天文3年7月8日死去。45歳。 *8証賢(1513-1589):純恵。院家となる。法印。天正17年7月7日死去。77歳。 *9顕恵(1560-1613):佐恵。慶長18年4月8日死去。54歳。「常楽寺顕恵葬礼記」が残る。 *10准恵():照栄(昭栄)。願行寺准賢の子(准賢も常楽寺に住したという説もある)。本願寺鎰役。願行寺、[[持専寺]]を兼務。妻は本願寺12世准如の娘。 *11良覚():円信。 *12 *13寂恵(1653-1752)<>:願行寺を兼務。宝暦2年1月22日死去。100歳。宣休院と号す。 *14住恵()<>:寂恵の養子。上田藩主松平忠周の子。鉄次郎。 *法順(1746-1761)<>:本願寺17世の法如の子。闡耀。宝暦11年7月18日死去。16歳。帰真院と号す。 *17法延()<1769-1784>:本願寺静如(除歴、1722-1796)の六子。闡舒。明和6年4月、常楽寺住職。天明4年11月引退。徳蔵院と号す。 *18法音()<1784->:本願寺静如(除歴、1722-1796)の九子。闡琅。天明4年11月16日、得度して常楽寺住職。西乗院と号す。 *今小路沢悟()<>:権少教正。 *今小路覚尊(-1930-)<>: *24今小路覚瑞(1898-1977)<>:相愛女子短期大学学長。 *25今小路覚真(1943-)<>:本願寺会行事。 ==資料== * 天金山常楽台家譜 * 大谷一流諸家分脈系図 *1969「京都今小路常楽寺と越前との関係について」[http://hdl.handle.net/10461/19252] [[category:京都府]]
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