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京都・感応寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
京都・感応寺
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'''感応寺'''(かんのうじ)は京都府京都市上京区梶井町にあった[[観音信仰]]の寺院。[[清和院]]に合併。'''河崎堂'''、'''河崎観音堂'''、'''一条河崎観音寺'''。(参考:同名寺院[[感応寺]]) ==歴史== 『元亨釈書』によると、貞観年間、観音像を祀る適地を探していた壱演(803-867)がこの河崎の地に来ると、大地が揺れ、紫雲を出るなどの感応を得て建立したという。『中昔京師地図』では一条大路の東端、鴨川の西岸に描かれ、現在の京都府京都市上京区梶井町一帯に当たる。 『吾妻鏡』1186年(文治2年)6月13日条によると、河崎観音堂の近くで[[源義経]]の母と妹が義経を追う[[源頼朝]]の配下の者に捕縛されたという。 1181年(養和1年)、吉田経房が参詣(吉記)。市中の要所に当たるためたびたび戦禍を蒙り、応仁の乱で焼けた。1531年(享禄4年)1月5日にも焼失。その後、清和院に観音像を移して合併されたという。(日本歴史地名大系ほか) [[Category:京都府]]
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