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京都・法然寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
京都・法然寺
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'''法然寺'''(ほうねんじ)は京都府京都市右京区嵯峨天龍寺立石町にある[[法然]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。本尊は法然。[[熊谷直実]]が創建。[[単称浄土宗]]。[[法然上人二十五霊場]]第19番札所。極楽殿と号す。山号は熊谷山。(参考:同名寺院[[法然寺]]) 1197年、出家した熊谷直実が法然を開山として錦小路烏丸(京都府京都市中京区元法然寺町)に創建([[八坂神社御手洗井]]の付近)。 正安年間、念仏帰依で病気平癒の功徳を得た[[後深草天皇]]から「極楽殿」の勅額を得たという([[伏見天皇]]からとも)。 応仁の乱で焼失したが、将軍足利義政が再建。1591年、[[豊臣秀吉]]の都市計画により中之町(京都府京都市下京区中之町)に移転([[聖光寺]]の付近か)。 慶長年間に大破したが、[[徳川家康]]から伏見城の建物と寺領50石が寄進されて復興した。しかし寺領は徳川家綱の時になくなった。 1788年、天明の大火で焼失。 1797年再建。 数度の火災と再建を経て1880年に失火で焼失。 仮堂だったが1913年再建。 1964年、現在地の嵯峨に移転した。 本尊の法然御影像は法然53歳の自作の木像。 伏見天皇、後奈良天皇、正親町天皇、東福門院の位牌が伝わる。 法然の肉牙舎利を納めた法然墓(円光大師御本廟)がある。2世[[宇都宮頼綱]]が1228年1月25日に[[源智]]から預かったものという。 熊谷直実、宇都宮頼綱、徳誉、道誉の墓も並ぶ。 儒者熊谷箕山の墓があった。 (『日本歴史地名大系』ほか) [[category:京都府]]
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