ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
京都・金蓮寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
京都・金蓮寺
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[file:Kokudo0296.jpg|thumb|300px|金蓮寺(国土地理院空中写真より)]] '''金蓮寺'''(こんれんじ)は、京都府京都市北区の、[[一遍旧跡]]の[[時宗]]寺院。元は四条京極にあった。[[祇陀林寺]]が前身と伝える。かつての[[時宗四条派]]の拠点寺院。一遍賦算の旧跡。'''錦綾山金蓮寺'''。'''四条道場'''。京都府京都市北区鷹峯藤林町1-4。(参考:同名寺院[[金蓮寺]]) [[遊行派]]の拠点であった[[七条道場]]とたびたび対立した。 時宗四条派の四本寺に[[浄信寺]]、[[熱田・円福寺]]、[[和泉・引接寺]]、尼崎[[摂津・善通寺]]があった。 == 子院 == *元正院: *梅林院: *後松庵: *照月院: *知足院: *南涼院: *寿福庵: *永福院: *宝珠庵: *長春庵: *尋牛庵: *興徳庵: *松林院: *放光庵: *十住心院:[[空海]]の旧跡という。染殿院と改称。 *真珠庵: == 組織 == === 歴代住職 === *1浄阿真観(1268-1341)<>:上総出身。[[鎌倉極楽寺]]で[[忍性]]に戒律を学び、[[紀伊興国寺]]の[[心地覚心]]に禅を学ぶ。心地覚心の勧めで[[熊野本宮]]、[[熊野新宮]]に参詣。新宮で夢告により「念仏の形木」を授けられ、賦算を命じられたという。この時、一阿弥陀仏の名を与えられた。心地覚心から印可を得て、諸国を遊行。越中野尻で[[日蓮宗]]信徒に迫害され、淵に沈められそうになったが、奇瑞により領主に助けられた。野尻の日蓮宗信徒はみな念仏に帰依したという。1300年、上野国で[[他阿真教]]に出会い、3日間の法談を経て浄阿と改めた。真教と共に遊行し、1304年1月、共に[[無量光寺]]に逗留。1309年、上洛して[[祇陀林寺]]釈迦堂に寓す。1311年2月には[[後伏見上皇]]の妃の広義門院寧子の出産に念仏札を授けたところ、無事に皇子(のちの[[光厳天皇]])が生まれた。よって後伏見上皇から上人号を賜り、寺号を金蓮寺と改めた。無量光寺にいた真教は形木名号と印可状を送って相続。また浄阿は上奏して、綸旨で真教に「他阿上人」号が許可された。1314年9月、他阿真教が金蓮寺に立ち寄ると広義門院が聴聞に参詣。広義門院は浄阿に賦算の許可も与えるように請願し、洛中に限って賦算権を認めた。1341年6月2日死去。74歳。(時宗教団史) *2浄阿(1304-1360)<1341->:連歌師としても活躍。現在熱田神宮に残る熱田本日本書紀は浄阿が末寺の円福寺厳阿を介して熱田神宮権宮司田島仲宗に寄贈したもの。 *3厳阿: *4重阿: *5慶阿:[[足利尊氏]]の伯父 *6釈阿: *7文阿: *8浄阿: *9浄阿: *10浄阿: *11浄阿: *12浄阿: *13浄阿: *14浄阿: *15浄阿: *16浄阿: *17浄阿: *32浄阿:京都[[浄土宗]]正栄寺の恵観。浅草[[日輪寺]]が反対して引退。33代とも。 == 参考文献 == *大橋俊雄『一遍と時宗教団』 [[category:京都府]]
京都・金蓮寺
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ