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京都七条・金光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年1月18日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
金光寺(こんこうじ)は、京都府京都市下京区材木町にあった時宗の本山級寺院。呑海が創建。遊行派の京都での拠点だった。廃絶。松尾大社関連旧跡。七条仏所と関係があった。京都・長楽寺に合併。無量寿院。七条道場。通称は遊行寺。山号は黄台山。しばしば混同されるが市屋道場金光寺とは別寺院。(参考:同名寺院金光寺)
歴史
七条東洞院にあった。現在の真宗本廟の近く、枳殻邸の南側のあたり。創建は1251年(建長3年)とも1301年(正安3年)ともいう。 他阿呑海は七条仏所康弁から定朝の邸宅跡を寄進されたという。遊行派の京都の拠点として存在感を示し、四条道場とたびたび争論した。戦国時代まで遊行上人を輩出した有力寺院だった。
14世紀はじめの善阿は連歌師として活躍した。1461年(寛正2年)の飢饉では、金光寺の願阿弥という僧が勧進して六角堂の近くに小屋を建て、苦しむ市民に粥を施した。五条橋の修復も行った。
天正年間、豊臣秀吉の都市改造で七条仏所を他に移して拡張。400石が与えられた。和漢三才図会では寺領197石とする。 江戸時代には学寮が置かれた。隣接していた火葬場は元禄年間に設けられ、1873年(明治6年)に廃止された。
1858年(安政5年)、1864年(元治1年)、1875年(明治8年)と火災が続いた。1876年(明治9年)、子院を本寺に合併。 1908年(明治41年)、東山の長楽寺に合併。
松尾大社松尾祭の時、僧侶が御旅所に参詣したという(年中行事大成)。 (日本歴史地名大系ほか)
組織
歴代
持阿を称した。
- 1呑海(1265-1327)<>:遊行上人4世。藤沢上人1世。
- 2安国(1279-1337)<>:遊行上人5世。藤沢上人2世。
- 3一鎮(1277-1355)<>:遊行上人6世。藤沢上人3世。
- 4
- 5
- 6
- 7尊明(1350-1417)<>:遊行上人13世。藤沢上人7世。
- 8太空(1375-1439)<>:遊行上人14世。藤沢上人8世。
- 9尊恵(1364-1429)<>:遊行上人15世(藤沢上人には就任せず)。
- 10暉幽(1398-1466)<>:遊行上人17世(藤沢上人には就任せず)。
- 11
- 12
- 13弥阿()<>:一説に遊行上人21世知蓮と同一人物。
- 14意楽(1465-1518)<>:遊行上人22世(藤沢上人には就任せず)。
- 15
- 16
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- 18
- 19
- 20法爾(1563-1640)<>:遊行上人32世(藤沢上人には就任せず)。