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京都塩竈・金光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[file:B4ACF2D8-0F23-4F81-98AC-357F2BCCD23F.jpeg|金光寺|thumb|400px]] '''金光寺'''(こんこうじ)は、京都府京都市下京区本塩竈町にある[[時宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。かつての[[時宗市屋派]]の拠点寺院。[[市姫神社]]を鎮守とする。[[空也]]が創建したとされ、[[一遍]]も訪れている。'''最勝王院'''。通称は'''市屋道場'''、'''一夜道場'''、'''市姫金光寺'''。山号は市中山。しばしば混同されるが七条道場[[京都七条・金光寺|金光寺]]とは別寺院。(参考:同名寺院[[金光寺]]) == 歴史 == [[file:Kokudo0298.jpg|thumb|300px|金光寺と市比売神社(国土地理院空中写真より)]] 承平年間、空也が平安京東市に祀られている市姫神社の神勅を得て創建。 元は[[薬師如来]]を本尊とした。 1286年(弘安9年)、一遍が京都に訪れた際、空也を慕って逗留し、念仏教化。 老若男女が群参し、ついに住職の俊暁は一遍に帰依して作阿と名乗った。 年代は異なるが、『一遍聖絵』に1284年(弘安7年)に一遍が金光寺を訪れ、踊躍念仏の踊り場を開いたことが描かれており、訪問は史実とみられる。 1591年(天正19年)、[[本願寺]]の移転で土地を明け渡して現在地に移転した。 朱印地28石。 1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。 (『日本歴史地名大系』) ==子院== *玉蔵庵 *玉林庵 *最勝庵 *報恩庵 *正覚院 ==組織== ===住職=== *1[[空也]]()<>: *2[[一遍]]()<>: *3作阿()<>: *4 *5 *6 *7 *8 *9 *10 *11 *12 *13 *14 *15 *16 *17 *18 *19 *20 *21 *22 *空元()<>:1692年(元禄5年)在職。 *23敬空()<?-1735>:1735年(享保20年)7月隠退。 *24俊旭()<1735-?>:浄土宗西山派。以後しばらく、西山派の僧侶が住職を務める。 *浄信()<?-1862>:1862年(文久2年)「身持不埒」で追放。 *真徹()<1862-?>:1862年(文久2年)、遊行派の越後下田連光寺から入寺。 *武田徹定()<>:1889年(明治22年)在職。 *74武田賢善()<1936-?>:遊行上人65世尊光の弟子。1936年(昭和11年)入寺。 ==資料== ===古典籍=== *『金光寺縁起』: [[Category:京都府]]
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