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仁和寺真光院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
仁和寺真光院
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'''仁和寺真光院'''は京都の[[仁和寺]]にあった[[真言宗]]寺院。京都府京都市右京区常盤古御所町付近か。覚瑜が創建。1210年(承元4年)以降か。応仁の乱から正保の復興まで仁和寺の本坊だった。鎌倉時代、[[大伝法院]]を兼務した。[[覚鑁]]の法具や自筆聖教を所蔵していた。1317年(文保1年)5月26日全焼。古図によると御堂があった。[[仁和寺関連旧跡]]。 ==組織== ===歴代院主=== *1覚瑜(1186-?):仁和寺別当成海の子。成海は藤原成隆の子。[[大伝法院]]座主11世・13世。没年不詳。 *2教禅(1192-?):仁和寺別当成海の子。大伝法院座主19世。覚禅とも。没年は1263年(弘長3年)とも1280年(弘安3年)とも。 *(経瑜)():歴代には数えられていないが真光院法印と号す。教禅の弟子で、禅助の師。 *3禅助(1247-1330):中院通成の子。[[東寺長者]]。東寺座主。仁和寺別当。[[神護寺]]別当。大伝法院座主20世・22世・28世。法務。[[後宇多法皇]]の灌頂の師。1330年(元徳2年)死去。 *4成助():中院通重の子。仁和寺別当。東寺長者。[[法務]]。大伝法院座主世30世。 *5禅守(1333-?):花町宮邦省親王の王子。中院通冬の猶子。東寺長者。 *6禅信(1400-1467):洞院実信の子。東寺長者。法務。1467年(応仁1年)死去。68歳。 *7守鑁(1416-1483):中院通守の子。[[仁和寺成就院]]を兼務。東寺長者。1483年(文明15年)死去。68歳。 *8尊海(1472-1543):東久世通博の子。[[石山寺]]座主。土佐[[金剛福寺]]住職。1543年(天文12年)土佐で死去。72歳。 *9禅海(1567-1598):中山孝親の子。石山寺座主。1598年(慶長3年)死去。32歳。 *10寛海(1602-1629):大炊御門頼国の子。石山寺座主。1629年(寛永6年)死去。28歳。 *11覚恵(1604-?):[[大覚寺大勝院]]、[[興福寺東北院]]、[[興福寺修南院]]を経て仁和寺真光院に入る。石山寺座主。没年不詳。 *12聖助():大炊御門頼兼の子。石山寺座主。 *13演海():千種有能の子。 [[category:京都府]]
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