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仁和寺関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月11日 (土)
仁和寺の関連旧跡。
子院・院家
整理 | 寺名 | 家記 | 堂記 | 所在地 | 概要 | 院室兼帯寺院 |
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1 | 円堂院 | 4 | 京都府京都市右京区御室大内 | 廃絶。境内の東南にあった。宇多法皇の念誦堂。904年(延喜4年)3月26日創建。八角御堂とも呼ばれた。大内山にあったが後に仁和寺に移転か。 | ||
2 | 小松寺 | 7 | 廃絶。大聖院の西にあった。光孝天皇の御願か。『諸堂記』の時点で廃絶していた。 | |||
3 | 円融寺 | 1 | 京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町 | 廃絶。円融天皇勅願。983年(永観1年)3月22日創建。開山は寛朝?。別当は真乗院?。所司6人がいた。現在の龍安寺のあたりにあった。 | ||
4 | 円教寺 | 2 | 京都府京都市右京区花園円成寺町 | 廃絶。一条天皇勅願。998年(長徳4年)1月22日創建。別当は上乗院?。所司6人がいた。 | ||
5 | 円乗寺 | 3 | 京都府京都市右京区花園円成寺町 | 廃絶。後朱雀天皇勅願。1055年(天喜3年)創建。所司3人がいた。「焼堂」と呼ばれた。 | ||
6 | 円宗寺 | 9 | 京都府京都市右京区御室竪町 | 廃絶。後三条天皇勅願。1070年(延久2年)創建。円明寺。天台宗の関与が強く、他の3寺と比べて仁和寺からの独立性が高い。法華会と最勝会を行った。竪義もあった。講堂、灌頂堂、常行堂、五大堂、法華堂があった。 | ||
7 | 真光院 | 1 | 68 | 京都府京都市右京区常盤古御所町付近か | 覚瑜の自坊。応仁の乱から正保の復興まで仁和寺の本坊だった。大伝法院座主を兼務。『諸院家記』では「院家」。 | |
8 | 喜多院 | 57 | 11 | 廃絶。北院。『諸堂記』によると「代々御室御本房也」となり、仁和寺の本坊だったという。本尊は空海作の薬師如来。白河天皇の御願。済信が創建。1082年(永保2年)11月27日創建。1103年1月7日焼失。覚行法親王、覚性法親王が住した。末寺に河内・金剛寺にあった。 | ||
9 | 菩提院門跡 | 2 | 45 | 京都府京都市右京区御室大内か | 有真が創建。行宴、隆憲、行遍、覚耀が相承。了遍もいた。『諸院家記』では「院家」。 | |
10 | 勝宝院門跡 | 3 | 51 | 京都府京都市右京区御室大内か | 隆暁、貞暁、道勝が相承。『諸院家記』では「院家」。 | |
11 | 上乗院門跡 | 20 | 33 | 『諸堂記』には大御室乳母尼の創建となる。本尊は定朝作。安倍晴明が地鎮祭を行ったという。 | ||
12 | 蓮華光院門跡 | 28 | 21 | 京都府京都市東山区下弁天町 | 廃絶。鎮守の安井金比羅宮が現存。〓富門院の創建。宮僧正、無品親王、道融が相続。 | |
13 | 禅林寺門跡 | 53 | 京都府京都市左京区永観堂町 | 現在は浄土宗西山禅林寺派の総本山。 | ||
14 | 大覚寺門跡 | 74 | 京都府京都市右京区嵯峨大沢町 | |||
15 | 十地院門跡 | 京都府京都市右京区鳴滝 | 廃絶。浄土宗の尼門跡。伏見天皇皇女の延明門院(1291-?)が創建。 | |||
16 | 理証院 | 4 | 京都府京都市右京区御室大内か | 備中・吉備津神社を配下に置いた。『諸院家記』では「院家」。 | ||
17 | 真乗院 | 5 | 63 | 京都府京都市右京区御室大内か | 後鳥羽天皇中宮の宜秋門院任子(1173-1238)の御願寺。円融寺を管理。顕季の建立とも。最勝院の房舎とも。覚顕、長覚、印性、覚教が相承。『諸院家記』では「院家」。 | |
18 | 西寺 | 75 | 京都府京都市南区唐橋平垣町 | |||
19 | 円成寺 | 52 | 京都府京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町 | 廃絶。定額寺。藤原淑子が創建。益信が開山となった。一条天皇の初葬地。 | ||
20 | 皆明寺 | 6 | 『諸院家記』では「出世」。 | |||
21 | 花厳院 | 7 | 58 | 京都府京都市右京区御室大内か | 景雅、宗信、定顕、定成が継ぐ。松殿入道殿祇候女房、仏師院賢が住む。(院内に?)常楽院(楽生院)を建てる。『諸院家記』では「出世」。 | |
22 | 心蓮院 | 8 | 37 | 世豪が創建。隆禅、房円が継ぐ。正保の復興で活躍した顕証(1597-1678)の自坊。『諸院家記』では「住侶」。 | ||
23 | 南勝院 | 9 | 50 | 忠縁(1038-1115)の創建。信粛の自坊が起源とも。真光院より南にあった。本堂は東向き。忠縁、能覚、寛瑜、長厳、清厳、行禎、経瑜、守禅、禅助、禅円、性玄、信海、実勝、成助、禅守、光助、仁瑜、真性、俊慶、宿厳、斉寅、実賀と相続。『諸院家記』では「住侶」。 | ||
24 | 尊勝院 | 10 | 46 | 快禅の創建。尋寛が継ぐがしばらく無住となり、衰退。のち行遍が房舎を建てた。 | ||
25 | 自性院 | 11 | 71 | 理範の自坊。俊性が継ぐ。 | ||
26 | 成就院 | 12 | 24 | 京都府京都市右京区御室大内か | 覚鑁の旧跡。『仁和寺諸院家記』では寛助(1057-1125)が白河法皇の御願で創建したとある。寛助は成就院流の祖で、覚鑁らの師。1096年(永長1年)7月、別当経範(1031-1104)が両界曼荼羅供の導師を勤めた。一説にはこれが創建という。もとは善巧房と称した。寛済、実瑜が相続し、焼失。 | |
27 | 皆明院 | 13 | 55 | 寛覚が創建か。『諸堂記』の時点で廃絶。 | ||
28 | 西院 | 14 | 35 | 京都府京都市中京区西大路四条高山寺町付近 | 淳和天皇の離宮が前身。皇后の正子内親王が寺とした。淳和院。印性、道尊が相続。 | |
29 | 相応院 | 15 | 49 | 創建不詳。能覚、隆憲、禅覚、道禅、隆助が相承。 | ||
30 | 威徳寺 | 16 | 36 | 京都府京都市右京区御室大内か | 祇園女御が創建。本尊は百体大威徳明王。住坊が堂の西にあった。禅覚、実任が相続。 | |
31 | 宝持院 | 17 | 69 | 親寛の自坊。 | ||
32 | 尊寿院 | 18 | 41 | 京都府京都市右京区御室大内 | 現存。のち院家?覚遍の自坊。定遍、宗遍、真遍が相承。 | |
33 | 理智院 | 19 | 48 | 創建不詳。寛遍、勝遍、海恵、良遍、忠遍が相承。 | ||
34 | 光明院 | 21 | 61 | 増遍、長基が相承。『諸堂記』の時点で廃絶。 | 根生院 | |
35 | 五智院 | 22 | 64 | 八条院女房冷泉局が創建。行守、覚助が相承。 | ||
36 | 保寿院 | 23 | 40 | 1137年(保延3年)5月21日創建。元は平等房と称す。永厳の自坊。覚成、道弘、道守が相承。 | ||
37 | 静定院 | 24 | ||||
38 | 教王院 | 25 | 25 | 創建不詳。小堂があった。 | 秋田一乗院 | |
39 | 慈尊院 | 26 | 38 | 済暹の創建か。隆遍、寛俊、最寛、賢隆が相承。 | ||
40 | 相承院 | 27 | 39 | 成就院大僧正の創建か。俊厳が相承。 | ||
41 | 蓮乗院 | 29 | ||||
42 | 香隆寺 | 30 | 10 | 京都府京都市北区平野八丁柳町 | 廃絶。二条天皇の菩提寺。跡地に二条天皇陵がある。寛空(884-972)が創建。京都・蓮台寺に合併したという。香龍寺。『諸堂記』の時点で廃絶 | |
43 | 蓮浄院 | 31 | ||||
44 | 法勝院 | 32 | 京都府京都市伏見区墨染町 | 貞観寺内にあった | ||
45 | 池房 | 33 | ||||
46 | 摩尼珠院 | 34 | 薩摩・一乗院 | |||
47 | 密乗院 | 35 | ||||
48 | 華蔵院 | 36 | 29 | 真言密教の華蔵院流の発祥地。花蔵院とも。聖恵法親王(白河天皇皇子、1094-1137)、寛暁(堀河天皇皇子、1103-1159)、覚恵(元性、崇徳天皇皇子、1151-1184)が住した。定豪が仁和寺での住坊がないために房舎を建てたか。 | ||
49 | 我覚寺 | 37 | 寛忠(寛仲)が創建。池上寺と同一とも。 | |||
50 | 浄光院 | 38 | 34 | 京都府京都市右京区花園宮ノ上町か | 寛忠の坊か。池上寺にあったか。宮ノ上町出土の遺構が浄光院跡とする説がある。 | |
51 | 厳浄院 | 39 | 52 | 宗範、寛瑜、寛俊、公助が相承。 | 福井性海寺 | |
52 | 大教院 | 40 | 16 | 廃絶。後三条天皇の菩提寺。皇女の聡子内親王が1083年(永保3年)に創建。のち破損し、守覚が小堂を建てた。覚意がいた。のち真恵が大教院を廃して跡地に自坊として金剛幢院を建てた。 | ||
53 | 円楽寺 | 41 | 28 | 成典の自坊が起源。代々門跡が相承した後、覚紹が超覚に譲った。 | ||
54 | 得大寺 | 42 | 京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町 | 廃絶。現在の龍安寺のあたりにあった。1147年(久安3年)創建。徳大寺。 | ||
55 | 西方院 | 43 | 47 | 真幸の自坊。祐尊、尊遍、定位が相承。 | ||
56 | 明王院 | 44 | ||||
57 | 釈迦院 | 45 | 57 | 釈迦牟尼院。公延の自坊。禅性、賢清、隆澄が相承。 | 前神寺 | |
58 | 勝功徳院 | 46 | 22 | 廃絶。高陽院が姫宮のために創建。高陽院(鳥羽天皇皇后、1095-1155)の菩提寺とも。 | ||
59 | 最勝院 | 47 | 鳥取最勝院 | |||
60 | 護持院 | 48 | 56 | 練覚、覚兼、範性、厳禅、賢清、禅性が相承。 | ||
61 | 青蓮寺 | 49 | 26 | 禔子内親王(1003-1048、三条天皇皇女、性信法親王妹、藤原教通継室)が創建。 | ||
62 | 慈雲寺 | 50 | 44 | 厳済が創建。配下の摂津慈雲寺の名を取った。覚隆、覚朝、静朝、行遍、教遍が相承。 | ||
63 | 金剛幢院 | 51 | 62 | 元は大教院。覚寛、真恵、道融が相承。 | 鳥取・東光寺 | |
64 | 池上寺 | 54 | 京都府京都市右京区花園 | 廃絶。寛忠(寛仲)が創建。現在の法金剛院の北にあった。我覚寺と同一とも。 | ||
65 | 開田院 | 55 | 京都府長岡京市開田 | 廃絶。宇多法皇の御所に始まるという。道深や1258年(正嘉2年)法助が隠棲した。現在の三尊寺の地にあったという説もある。 | ||
66 | 木寺 | 56 | 喜寺とも。 | |||
67 | 遍照寺 | 58 | 6 | 京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町 | 真言宗御室派準別格本山。寛朝が創建。別当は上乗院か。所司3人がいた。 | |
68 | 浄菩提院 | 59 | 66 | 成俊が創建。後白河法皇の祈願所。澄盛、隆快、経助が相承。 | ||
69 | 安養院 | 60 | ||||
70 | 禅定院 | 61 | 和歌山県伊都郡高野町高野山 | 高野山大伝法院の子院。寛意(1054-1101)が性信法親王の骨堂として創建。定尊、覚尋、教禅と住す。 | 愛知性海寺 | |
71 | 宝乗院 | 62 | 72 | 済元の自坊。『諸堂記』の時点で廃絶。 | ||
72 | 功徳院 | 63 | 54 | 元は功徳房と称す。覚曜、顕耀、海恵が相承。海恵の時に焼失。のち成耀が継ぎ小房を建てた。済尊が継ぐ。 | ||
73 | 法浄院 | 64 | ||||
74 | 浄名院 | 65 | 43 | 創建不詳。 | ||
75 | 金剛院 | 66 | ||||
76 | 釈王寺 | 67 | ||||
77 | 神応寺 | 68 | 8 | 京都府京都市右京区御室大内か | 廃絶。大聖院の西にあった。西千手堂の前身か。詳細不明。『諸堂記』の時点で廃絶。 | |
78 | 堀池院? | 69 | 京都府京都市右京区嵯峨 | 嵯峨にあった。 | ||
79 | 嘉祥寺 | 70 | 京都府京都市伏見区深草坊町 | 深草貞観寺西院。 | ||
80 | 円明寺 | 71 | ||||
81 | 忍辱山 | 72 | 奈良県奈良市忍辱山町 | 大和。 | ||
82 | 観音院 | 73 | 5 | 京都府京都市右京区御室大内か | 廃絶。真寂法親王が空海の託宣を受けて創建。末寺に京都・頭陀寺(福王子神社の地にあった)があった。恒例の灌頂勅会が行われた四寺(延暦寺総持院、尊勝寺、東寺)の一つ。所司3人がいた。 | |
83 | 宝光院 | 76 | 京都府京都市右京区御室大内か | |||
84 | 恵命院 | 77 | 65 | 京都府京都市右京区御室大内か | 覚延、隆暹、長暹、寛済、覚延が相承。亮淳が1593年(文禄2年)『諸堂記』を書写。 | |
85 | 般若寺 | 78 | 京都府京都市右京区嵯峨樒原高見町 | 真乗院が管轄した。 | ||
86 | 転輪院 | 12 | 京都府京都市右京区御室大内か | 廃絶。鳥羽天皇生母の御願で、白河上皇が建てた。荘園がなく、諸国に封戸が当てられた。のちに税金の徴収が滞り、衰退した。『諸堂記』の時点では仏事は代わりに法金剛院南御堂で行っていた。 | ||
87 | 法金剛院 | 13 | 京都府京都市右京区花園 | 本尊は阿弥陀如来。待賢門院璋子が双丘寺跡に創建。毎年一切経会が行われていた。当初は仁和寺の子院だったが、唐招提寺の導御が復興した。江戸時代、泉涌寺の照珍が再建した。裏山に導御らの唐招提寺・泉涌寺長老の墓地と待賢門院・上西門院の陵墓、仁和寺宮墓地がある。律宗唐招提寺派別格本山。 | ||
88 | 仏母院 | 14 | 京都府京都市右京区御室大内か | 廃絶。鳥羽上皇が創建。観音院灌頂堂の西にあった。 | ||
89 | 南院 | 15 | 京都府京都市右京区宇多野御屋敷町付近か | 覚法法親王が創建。1132年(長承1年)に入る。1135年(保延1年)1月28日に釈迦堂、1142年(康治1年)3月7日に阿弥陀堂を建立。跡地に常瑜伽院が建てられた。塔があった。 | ||
90 | 無量寿院 | 17 | 京都府京都市右京区御室大内か | 廃絶。覚法法親王が創建。生母を弔う御堂があり、新御堂と呼ばれた。 | ||
91 | 大聖院 | 18 | 京都府京都市右京区常盤神田町付近か | 廃絶。覚性が創建。当時の門跡御所だった。本尊は不動明王、毘沙門天、吉祥天。真光院の北、「一岡」の西にあった。『三十帖冊子』を秘蔵していた。 | ||
92 | 紫金台寺 | 19 | 京都府京都市右京区鳴滝 | 廃絶。もとは西山物集荘にあった。のち仁和寺内に移転。紫金台寺宮が住した上下の御堂と御所があり上を勝荘厳院といい、下を紫金台寺といった。上下共に迎講が行われていた。紫金台寺宮の死後は荒廃するが存続し寛済が継ぐ。しかし上御所・勝荘厳院が先に焼失し、下御所と紫金台寺も焼失した。 | ||
93 | 蓮華心院 | 20 | 京都府京都市右京区常盤古御所町 | 廃絶。八条院ショウ子内親王が創建。安嘉門院の命。 | ||
94 | 光明寿院 | 23 | 京都府京都市右京区御室大内か | 守覚法親王が創建し、最後の御所とした。守覚法親王の墓があった。仁隆の坊が起源か。 | ||
95 | 蓮華寺 | 27 | 京都府京都市右京区御室大内 | 真言宗御室派別格本山。周防堂と称す。寺領は鷲頭荘。『諸堂記』の時点では破損して仁和寺東北の不動堂に移す。蓮華寺と青蓮寺6人ずつが出仕して三昧を行い、北院夏衆といった。 | ||
96 | 宝浄院 | 30 | 京都府京都市右京区御室大内か | 円宗寺執行の厳済が創建。信証が継ぐ。『諸堂記』の時点では多宝塔のみが残っていた。 | ||
97 | 宝蓮院 | 31 | 京都府京都市右京区御室大内か | 斎院御堂と呼ばれた。覚成が別当となる。 | ||
98 | 練行院 | 32 | 京都府京都市右京区御室大内か | 創建不詳。『諸堂記』の時点で衰退。 | ||
99 | 大教院北房 | 42 | 京都府京都市右京区御室大内か | 遮那院。仁証の自坊。阿闍梨1口が置かれた。祐尊、道寛、隆宝が相承。 | ||
100 | 浄定院 | 53 | 京都府京都市右京区御室大内か | 元は浄定房と称す。隆真、任経、行寛、勝禅が相承。 | ||
101 | 往生院 | 59 | 京都府京都市右京区御室大内か | 創建不詳。寛果の自坊。慶忠、勝覚、忠遍が継ぐ。『諸堂記』の時点で廃絶。 | ||
102 | 本教院 | 60 | 京都府京都市右京区御室大内か | 慶宗の自坊。道寛が継ぐ。『諸堂記』の時点で廃絶。 | ||
103 | 安養谷観音堂 | 67 | 京都府京都市右京区御室大内か | 創建不詳。心定院か。 | ||
104 | 律乗院 | 70 | 京都府京都市右京区御室大内か | 定顕の自坊。『諸堂記』の時点で廃絶。律定院? | ||
105 | 宝塔院 | |||||
106 | 常瑜伽院 | 京都府京都市右京区宇多野御屋敷町付近か | 仁治年間(1240-1243)以降の創建とみられ、1579年(天正7年)までには廃絶したとみられる。大聖院神殿の北にあったといい、あるいは南院あたりにあったと記す。東に池があり、西に滝があった。この滝が鳴滝か。常瑜伽院御室と号す寛性法親王(1289-1346)や後常瑜伽院御室と号す永助法親王(1362-1437)が住したとみられる。永助法親王が1406年(応永13年)父の後光厳天皇33回忌を、1428年(正長1年)生母崇賢門院一周忌を、1433年(永享5年)同7回忌を営んだか。1432年(永享4年)3月12日には将軍足利義教が御成。現存最古の仁和寺境内図の「常瑜伽院指図」が伝わり、1489年(延徳1年)に作図され、1509年(永正6年)に清書された図。指図では大御堂、小御堂、塔、客殿、東御所、下御所、風呂屋があると示す。(「常瑜伽院指図について」) | |||
107 | 常楽院 | 京都府京都市右京区 | 妙法院門跡が兼務した花園常楽院とみられる。 | |||
108 | 法光明院 | 京都府京都市右京区 | 西谷にあった。廃絶。良忠の弟子の然空礼阿が住して浄土宗鎮西流一条派の拠点となる。のち律宗西大寺流となった。 | |||
109 | 光明寺 | 京都府京都市右京区鳴滝本町 | 廃絶。浄土宗西山派西谷流の発祥地。法興浄音が創建。新光明寺。後身の鳴滝・専念寺が現存。 | |||
110 | 北山本願寺 | 如導派 | ||||
111 | 北山荘厳院 | 如導派 | ||||
112 | 曼荼羅院 | 如導派。如導の墓所。 | ||||
113 | 金台寺 | 京都府京都市北区等持院西町 | 如導派。如導の火葬所。現在は臨済宗で妙心寺境外塔頭。 | |||
114 | 禅光院 | 如導派長福寺末の筆頭寺院。 | ||||
115 | 寿覚院 | 如導派。 | ||||
116 | 等持院 | 京都府京都市北区等持院北町 | ||||
117 | 頭陀寺 | 京都府京都市右京区宇多野福王子町 | 福王子神社の地にあった。 | |||
118 | 光台院 | 和歌山県伊都郡高野町高野山 | 道助親王創建とも覚法親王創建ともいう。高野御室と呼ばれた。道助親王墓がある。高野山真言宗別格本山。 | |||
119 | 勝蓮花院 | 和歌山県伊都郡高野町高野山 | 廃絶。覚法親王が創建。跡地に覚法親王墓がある。 | |||
120 | 護国寺 | 東京都文京区大塚 | 1681年5月28日、仁和寺の院家となったという(江戸名所図会) | |||
121 | 大護院 | 東京都台東区蔵前 |
『仁和寺諸院家記』(仁和寺先徳履歴)[1]、群書類従本[2]
院室兼帯寺院も参照。
関連旧跡
- 光孝天皇陵:京都府京都市右京区宇多野馬場町。光孝天皇の陵墓。
- 御室陵墓参考地:京都府京都市右京区御室大内。光孝天皇の陵墓の候補地。
- 宇多天皇陵:京都府京都市右京区鳴滝宇多野谷。宇多天皇の陵墓。
- 暲子内親王墓:京都府京都市右京区鳴滝中道町。八条院暲子内親王の墓。蓮華心院跡。
- 仁和寺宮墓地:京都府京都市右京区花園。
- 仁和寺御里坊:京都府京都市上京区京都御苑。京都御所の近くにあった。
- 朱山七陵:京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町。龍安寺の北にある。
- 毫摂寺:福井県越前市清水頭町にある浄土真宗の本山寺院。大町門徒(三門徒)系統の真宗出雲路派の本山。1518年から1589年頃まで仁和寺の末寺だった。
- 村上天皇陵:京都府京都市右京区鳴滝宇多野谷。
- 円融天皇陵:京都府京都市右京区宇多野福王子町。
- 印空寺:京都府京都市右京区山越西町。西山浄土宗。元は仁和寺宮の茶所があった。