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仁和寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*1幽仙()<>:天台宗。
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2019年10月22日 (火) 時点における版

仁和寺(にんなじ)は京都府京都市右京区にある真言宗本山寺院。本尊は阿弥陀如来真言宗御室派総本山。皇室ゆかりの門跡寺院の筆頭を自認する。官寺二十五大寺の一つ。元号寺光孝天皇の発願で始まり、宇多天皇が完成させ、出家した宇多法皇の御所となった。初期は天台宗だった時期もある。覚性法親王が任命されて以降、仏教界の最高職とされた総法務を務める慣例があった。かつては現在より遥かに広い寺地に多くの子院や伽藍があり、四円寺などがあった。光孝天皇陵宇多天皇陵御室陵墓参考地仁和寺宮墓地も近くにある。御室流華道の総司庁が置かれている。山号は大内山西山御願寺御室御所御室とも呼ばれる。 仁和寺関連旧跡も参照。

目次

歴史

伽藍

  • 金堂:本尊は阿弥陀三尊。他に四天王像、梵天像、光孝天皇像などを祀る。現在の金堂は、慶長年間造営の紫宸殿を移築改造して仏堂としたもの。1641年3月頃に移築され、1646年11月1日に真光院から阿弥陀三尊を遷座。1647年2月7日、開眼法要が営まれた。
  • 御影堂:本尊は空海宇多法皇、性信親王。現在の堂は慶長年間造営の清涼殿の一部を移築して寛永年間に建てた。
  • 九所明神:祭神は本殿の八幡三神、左殿の賀茂上下明神、日吉、武答、稲荷、右殿の松尾、平野、小日吉、木野島。1212年以前の創建。現在の社殿は寛永年間の造営。
  • 五重塔:本尊は大日如来など。1644年の建立。
  • 観音堂:本尊は千手観音不動明王降三世明王を脇侍とする。二十八部衆も祀る。
  • 経蔵:本尊は釈迦如来など。
  • 水掛不動:
  • 仁王門:二王門とも。
  • 霊明殿:本尊は薬師如来。1911年の建立。設計は亀岡末吉。
  • 宸殿:
  • 御室八十八カ所霊場:四国霊場の写し。
  • 済信塚:済信を偲ぶ塚。
  • 金剛華菩薩:1981年造立。
  • 福王子神社
  • 花園今宮神社
  • 念誦堂:1887年の火災で焼失した御殿に付属。

組織

明治以前は仁和寺宮家の祭祀を参照。 昌泰の変で嫌疑を掛けられた菅原道真の娘婿である真寂法親王が仁和寺に入っているが、住職にはなっていないようだ。

住職

  • 31冷泉照道(-1879)<1869-1879>:子院皆明寺住職。1868年、菩提院寺務総職。1869年(明治2年)就任。在職中、1879年(明治12年)4月10日、法金剛院で死去。自在心院と号す。
  • (事務取扱)佐伯旭雅()<>:1879年4月11日事務取扱。
  • 32冷泉玄誉(-1890)<1879-1890>:1879年(明治12年)6月22日就任。在職中、1890年(明治23年)4月2日死去。東寺長者。
  • 33別所栄厳(1814-1900)<1884-1899>:1884年(明治17年)7月4日就任。1899年(明治32年)退任。東寺長者。無能勝院と号す。
  • 34渡辺雲照(1827-1909)<1899-1900>:1899年(明治32年)7月12日就任。1900年(明治33年)退任。
  • 35泉智等(1849-1928)<1900-1906>:俗姓は花桝。1900年(明治33年)8月9日就任。1906年(明治39年)4月11日退任。
  • 36土宜法龍(1854-1923)<1906-1920>:1906年(明治39年)7月21日就任。1920年(大正9年)6月3日退任。東寺長者。
  • 37浦上隆応(1856-1926)<1920-1926>:1920年(大正9年)10月就任。在職中、1926年(昭和1年)11月10日死去。般若心院と号す。
  • 38石堂恵猛(-1943)<1927-1943>:1927年(昭和2年)2月19日就任。在職中、1943年(昭和18年)8月27日死去。
  • 39岡本慈航(-1957)<1933-1957>:1943年(昭和18年)12月8日就任?。在職中、1957年(昭和32年)9月7日死去。
  • 40花桝智勝(-1967)<1955-1967>:自坊は三津寺。1955年(昭和30年)6月24日就任。在職中、1967年(昭和42年)6月5日死去。
  • 41森諦円(1901-1990)<1967-1977>:香川県出身。1901年(明治34年)5月27日生。覚城院に入る。真言宗京都大学(種智院大学)卒業。従軍僧。種智院大学長。1967年(昭和42年)7月26日就任。1977年(昭和52年)7月25日退任。1990年(平成2年)7月30日死去。
  • 42小田慈舟(1890-1978)<1977-1978>:広島県出身。真言宗連合京都大学卒業。明治23年3月27日生。1909年(明治42年)神護寺で伝法灌頂を受ける。1938年(昭和13年)高野山大学教授。1949年(昭和24年)種智院大学教授。1977年(昭和52年)7月26日就任。『密教大辞典』を編纂。在職中、1978年(昭和53年)4月28日死去。
  • 43立部瑞祐(1911-1999)<1978-1983>:佐賀県出身。鎮国寺住職。1978年(昭和53年)6月11日就任。1983年(昭和58年)6月22日退任。
  • 44小林隆仁()<1983-1988>:1983年(昭和58年)6月23日就任。1988年(昭和63年)6月22日退任。
  • 45松村祐澄(-2008)<1988-1993>:千光寺住職。1988年(昭和63年)6月23日就任。1993年(平成5年)6月22日退任。
  • 46吉田裕信(1929-1998)<1993-1998>:広島県出身。1929年(昭和4年)12月8日生。1939年(昭和14年)大聖院で出家。1949年(昭和24年)京都専門学校卒業。1952年(昭和27年)龍谷大学卒業。1963年(昭和38年)大聖院座主。1986年(昭和61年)から1990年(平成2年)宗務総長・仁和寺執行長。1993年(平成5年)6月23日就任。1998年(平成10年)6月22日退任。同年12月3日死去。70歳。
  • 47堀智範(-2014)<1998-2003>:天野山金剛寺座主。1998年(平成10年)6月23日就任。2003年(平成15年)6月22日退任。
  • 48佐藤令宜(1933-)<2003-2008>:三重県出身。府南寺に生まれる。1948年(昭和23年)金山穆韶に師事。箸蔵寺住職。2003年(平成15年)6月23日就任。2008年(平成20年)6月22日退任。
  • 49南揚道(1931-)<2008-2013>:1931年(昭和6年)生まれ。広島大学卒。慈眼院住職。2008年(平成20年)6月23日就任。2013年(平成25年)6月22日退任。
  • 50立部祐道(1940-)<2013-2018>:広島県尾道市出身。河内・延命寺で得度。龍谷大学文学部卒業。鎮国寺住職。2013年(平成25年)6月23日就任。
  • 51瀬川大秀(1947-)<2018-2023予定>:自坊は王至森寺。2018年6月23日就任。

(『望月仏教大辞典』)

  • 「仁和寺」『諸門跡承伝系図』[1]

別当

住職とは別に別当がいたらしい。

  • 1幽仙()<>:天台宗。
  • 寛賢()<>:
  • 寛空()<>:
  • 寛朝()<>:
  • 覚意()<>:
  • 寛助(1057-1125)<>:
  • 成助()<>:
  • 寛暁()<>:
  • 尋清()<>:
  • 雅慶(926-1012)
  • 信覚(1011-1084)
  • 定遍(1133-1185)
  • 道尊(1175-1228)
  • 奝助(1217-1290)
  • 禅助(1247-1330)

参考文献

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BB%81%E5%92%8C%E5%AF%BA」より作成

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