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仁和寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2018年1月28日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
仁和寺(にんなじ)は京都府京都市右京区にある真言宗の本山寺院。本尊は阿弥陀如来。真言宗御室派総本山。皇室ゆかりの門跡寺院の筆頭を自認する。官寺二十五大寺の一つ。元号寺。光孝天皇の発願で始まり、宇多天皇が完成させ、出家した宇多法皇の御所となった。初期は天台宗だった時期もある。覚性法親王が任命されて以降、仏教界の最高職とされた総法務を務める慣例があった。かつては現在より遥かに広い寺地に多くの子院や伽藍があり、四円寺などがあった。光孝天皇陵、宇多天皇陵、御室陵墓参考地、仁和寺宮墓地も近くにある。御室流華道の総司庁が置かれている。山号は大内山。西山御願寺、御室御所、御室とも呼ばれる。 仁和寺関連旧跡も参照。
目次 |
歴史
伽藍
- 金堂
- 御影堂
- 九所明神
- 五重塔
- 観音堂
- 霊明殿
- 宸殿
- 八十八ケ所霊場
組織
明治以前は仁和寺宮家の祭祀を参照。 昌泰の変で嫌疑を掛けられた菅原道真の娘婿である真寂法親王が仁和寺に入っているが、住職にはなっていないようだ。
住職
- 冷泉照道(-1879)<>:1879年(明治12年)4月10日死去。
- 冷泉玄誉(-1890)<>:1890年(明治23年)4月2日死去。
- 別所栄厳(1814-1900)<>:
- 釈雲照()<>:
- 泉智等()<>:
- 土宜法龍(1854-1923)<>:
- 浦上隆応(-1926)<>:1926年(昭和1年)11月10日死去。
- 石堂恵猛(-1943)<>:1943年(昭和18年)8月27日死去。
- 岡本慈航(-1957)<>:1957年(昭和32年)9月7日死去。
- 花桝智勝(-1967)<>:1967年(昭和42年)6月5日死去。
- 森諦円()<>:
- 小田慈舟(-1978)<>:1978年(昭和53年)4月28日死去。
- 立部瑞祐()<>:
- 小林隆仁()<>:
- 松村祐澄()<>:
- 吉田裕信()<>:
- 堀智範()<>:
- 佐藤令宜()<>:
- 南揚道()<>:
- 立部祐道()<>:
(『望月仏教大辞典』)