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伊勢・法泉寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月21日 (土)

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荒木田氏(一門)の氏寺。真言宗。
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'''法泉寺'''(ほうせんじ)は、伊勢国度会郡(三重県伊勢市宇治中之切町)にあった[[荒木田氏]](一門)氏寺の[[真言宗]]寺院。山号は蒼渓山。[[伊勢神宮関連旧跡]]。(参考:同名寺院[[法泉寺]])
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創建は不詳だが、荒木田氏(二門)の氏寺の田宮寺が長徳年間の創建であるから同じころではないかと『宇治山田市史』では推測している。
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== 歴史 ==
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もと小社村にあったが、岩村田山に移転した。文明18年に氏神社が戦乱を避けて小社村から岩村田山に遷座していることから、同じ頃に移転したのではないかと推測されている。
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創建は不詳だが、荒木田氏(二門)の氏寺の[[田宮寺]]が長徳年間(995-999)の創建であるから同じころではないかと『宇治山田市史』では推測している。
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荒木田氏の氏寺であるから、神領中に所領があったが、やがてなくなった。
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もと小社村(三重県度会郡玉城町小社曽根小社山あたりか。[[小社神社]]がある)にあった。氏経卿日次記の1464年(寛正5年)11月15日条に「大神宮一門氏寺法泉寺領安芸郡片淵御厨」とある。岩村田山(現在の五十鈴公園の南側あたりか)に移転した。1486年(文明18年)に[[荒木田一門氏神社]]が戦乱を避けて小社村から岩村田山に遷座していることから、同じ頃に移転したのではないかと推測されている。荒木田氏の氏寺であるから、神領中に所領があったが、やがてなくなった。元禄年間には、宇治中之切に移転していた。1596年(慶長1年)修復の記録がありこの頃、中之切に移転か。慶安年間、修復。1868年(明治1年)5月に廃絶。
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元禄年間には、宇治中之切に移転していた。
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(神宮典略[https://dl.ndl.go.jp/pid/1215170/1/330]、宇治山田市史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1266086/1/97]ほか)
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明治元年5月に廃絶。
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[[category:三重県]]
[[category:三重県]]

2023年1月21日 (土) 時点における最新版

法泉寺(ほうせんじ)は、伊勢国度会郡(三重県伊勢市宇治中之切町)にあった荒木田氏(一門)氏寺の真言宗寺院。山号は蒼渓山。伊勢神宮関連旧跡。(参考:同名寺院法泉寺

歴史

創建は不詳だが、荒木田氏(二門)の氏寺の田宮寺が長徳年間(995-999)の創建であるから同じころではないかと『宇治山田市史』では推測している。 もと小社村(三重県度会郡玉城町小社曽根小社山あたりか。小社神社がある)にあった。氏経卿日次記の1464年(寛正5年)11月15日条に「大神宮一門氏寺法泉寺領安芸郡片淵御厨」とある。岩村田山(現在の五十鈴公園の南側あたりか)に移転した。1486年(文明18年)に荒木田一門氏神社が戦乱を避けて小社村から岩村田山に遷座していることから、同じ頃に移転したのではないかと推測されている。荒木田氏の氏寺であるから、神領中に所領があったが、やがてなくなった。元禄年間には、宇治中之切に移転していた。1596年(慶長1年)修復の記録がありこの頃、中之切に移転か。慶安年間、修復。1868年(明治1年)5月に廃絶。 (神宮典略[1]、宇治山田市史[2]ほか)

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