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伊勢・神宮寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月21日 (土)

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744年(天平16年)[[聖武天皇]]の勅願で行基が創建。最初は[[内宮]]神域にあったとも。1185年(文治1年)良仁が中興。1262年(弘長2年)焼失した。1760年(宝暦10年)朝熊山明王院の尊隆が再興。1869年(明治2年)廃絶した。'''菩提山経塚'''があった。子院として[[浄土宗]]の称往院があった。
744年(天平16年)[[聖武天皇]]の勅願で行基が創建。最初は[[内宮]]神域にあったとも。1185年(文治1年)良仁が中興。1262年(弘長2年)焼失した。1760年(宝暦10年)朝熊山明王院の尊隆が再興。1869年(明治2年)廃絶した。'''菩提山経塚'''があった。子院として[[浄土宗]]の称往院があった。
[[海徳寺]]の本尊が菩提山神宮寺の旧仏だと判明している。(日本歴史地名大系ほか)
[[海徳寺]]の本尊が菩提山神宮寺の旧仏だと判明している。(日本歴史地名大系ほか)
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*神宮典略[https://dl.ndl.go.jp/pid/1215170/1/331]
[[category:三重県]]
[[category:三重県]]

2023年1月21日 (土) 時点における最新版

神宮寺(じんぐうじ)は三重県伊勢市中村町菩提山(伊勢国度会郡)にあった行基ゆかりの寺院。伊勢神宮関連旧跡。廃絶。菩提山神宮寺

744年(天平16年)聖武天皇の勅願で行基が創建。最初は内宮神域にあったとも。1185年(文治1年)良仁が中興。1262年(弘長2年)焼失した。1760年(宝暦10年)朝熊山明王院の尊隆が再興。1869年(明治2年)廃絶した。菩提山経塚があった。子院として浄土宗の称往院があった。 海徳寺の本尊が菩提山神宮寺の旧仏だと判明している。(日本歴史地名大系ほか)

  • 神宮典略[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E3%83%BB%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%AF%BA」より作成

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