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伊勢神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 主祭神を祀る'''内宮'''[[皇大神宮]]とその神饌を司る[[豊受大神]]を祀る'''外宮'''[[豊受大神宮]]を中心に大小125社の神社から構成されている。内宮外宮のほか、別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社34社、別宮所管社8社が伊勢市周辺各地に分布している。 | ||
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+ | 神社神道で最も重要な聖地とされる。天皇のレガリアである[[三種の神器]]の一つ'''八咫鏡'''を御神体とし、祭神の天照大神は太陽の女神であり天皇の祖先とされる。近代では社格を超越した存在とされ、通常の神社とは異なる法制度が整備されていた。現在は、[[神社本庁]]の'''本宗'''と定められ、神社界あげて護持される。祭主、大宮司が置かれる唯一の神社で、組織も最大規模である。また古式に近い状態で式年遷宮が行われている唯一の神社でもある。 | ||
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+ | 11代[[垂仁天皇]]の時代の創建とされ、さらに遡れば、天孫降臨の神話で天照大神が[[ニニギ]]に神勅を下したことに求められる。[[天武天皇]]が式年遷宮などの制度を整備し、中央集権国家が崩壊した中世でも、歴代の朝廷や幕府など時の政権の崇敬を受けた。外宮神職の度会氏による[[伊勢神道]]が生まれ、神道研究を進展させた。伊勢神宮の荘園が広がると、分霊の社が各地に設けられた。天皇の代理として祭祀を行う[[斎宮]]が断絶し、遷宮が中断するなど、苦難の時代もあったが、御師が全国に神宮大麻とともに信仰を広め、一般民衆の信仰も得て社殿を復興。近世にはお伊勢参りが大流行した。維新後、天皇を中心とする国家の聖地として重要視され、社殿、神域、組織、祭祀、諸制度が大改革された。明治2年には天皇の参拝が史上初めて行われた。 | ||
==概要== | ==概要== | ||
- | + | 日本の最高の権威者である天皇と非常に密接な関係を持つ特殊な神社である。皇祖神を祀ることで伊勢神宮は国民からの最大の崇敬を獲得し、天皇は天照大神の子孫であることによって宗教的・政治的権威を得る。 | |
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+ | 内宮の御神体は、神話で天照大神からニニギに与えた神鏡そのものとされる。日本政府は神鏡について、皇室経済法第7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」に該当するとの見解を示すとともに、「天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである」とし、「神宮にその所有権があると解し得ないことは明らか」としており([http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b036002.htm])、現在も皇室の財産であることが分かる。 | ||
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+ | 祭主や大宮司の人事や式年遷宮の日程など、現在も重要な事項は天皇の許可を得ることになっている。神宮規則には、祭主は「皇族又は皇族であつた者とし、勅旨を奉じて定める」とし、大宮司の就任は「勅裁を仰ぐものとする」とあるように、祭祀と大宮司の就任には天皇の許可が必要であると定められている。 | ||
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+ | 天皇は[[皇居]]に[[賢所]]を祀るが、それは伊勢神宮の神鏡の写しとされ、賢所を中心とする宮中祭祀は伊勢神宮の祭祀と関連を持っている。 | ||
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+ | 太陽神としての信仰、外宮の豊受大神に対する食物の神としての信仰、[[大日如来]]や[[阿弥陀如来]]との同一視する信仰などあるとしても根幹になってきたのは皇祖神を祀る宗廟であったことにあると思われる。 | ||
==奉斎== | ==奉斎== | ||
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==由緒== | ==由緒== | ||
- | + | 記紀神話の天孫降臨に際して、天照大神がニニギに同床共殿の神勅とともに八咫の鏡を授けたのが起源。同床共殿の神勅は、この神鏡を天皇が住まいとする宮殿にともに祀ることを命じたもの。最初は神勅通りに祀られてきたが、10代崇神天皇の代、神威を畏怖して大和の笠縫邑に遷座し、11代垂仁天皇の代に倭姫命が鎮座にふさわしい地を探して各地を巡った結果、神託を受けて伊勢に祀ったとされる。皇大神宮の創建とされる。 | |
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+ | 当初は神鏡を奉斎する内宮しかなかったが、その後、21代雄略天皇の代に、天照大神の命で丹波(現在の丹後国)から等由気大神(豊受大神)を招き、神饌を司る神として鎮座した。これが外宮豊受大神宮である。 | ||
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+ | 倭姫命が諸国を訪れ、天照大神を仮に祀った旧跡や豊受大神がもともと鎮座していた旧跡は元伊勢と呼ばれる。 | ||
==歴史== | ==歴史== |
2015年9月26日 (土) 時点における版
神宮 じんぐう | |
概要 | 皇祖神を祀る神社。 |
奉斎 | 主祭神:天照大神、豊受大神 |
所在地 | 三重県伊勢市 |
所在地(旧国郡) | 伊勢国度会郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | |
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伊勢神宮(いせ・じんぐう)は、三重県伊勢市にある皇祖神天照大神を祀る神社。伊勢信仰の総本社。現在の正式名称は神宮である。官社(式内社)・二十二社。伊勢神宮関連旧跡・元伊勢も参照。
主祭神を祀る内宮皇大神宮とその神饌を司る豊受大神を祀る外宮豊受大神宮を中心に大小125社の神社から構成されている。内宮外宮のほか、別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社34社、別宮所管社8社が伊勢市周辺各地に分布している。
神社神道で最も重要な聖地とされる。天皇のレガリアである三種の神器の一つ八咫鏡を御神体とし、祭神の天照大神は太陽の女神であり天皇の祖先とされる。近代では社格を超越した存在とされ、通常の神社とは異なる法制度が整備されていた。現在は、神社本庁の本宗と定められ、神社界あげて護持される。祭主、大宮司が置かれる唯一の神社で、組織も最大規模である。また古式に近い状態で式年遷宮が行われている唯一の神社でもある。
11代垂仁天皇の時代の創建とされ、さらに遡れば、天孫降臨の神話で天照大神がニニギに神勅を下したことに求められる。天武天皇が式年遷宮などの制度を整備し、中央集権国家が崩壊した中世でも、歴代の朝廷や幕府など時の政権の崇敬を受けた。外宮神職の度会氏による伊勢神道が生まれ、神道研究を進展させた。伊勢神宮の荘園が広がると、分霊の社が各地に設けられた。天皇の代理として祭祀を行う斎宮が断絶し、遷宮が中断するなど、苦難の時代もあったが、御師が全国に神宮大麻とともに信仰を広め、一般民衆の信仰も得て社殿を復興。近世にはお伊勢参りが大流行した。維新後、天皇を中心とする国家の聖地として重要視され、社殿、神域、組織、祭祀、諸制度が大改革された。明治2年には天皇の参拝が史上初めて行われた。
目次 |
概要
日本の最高の権威者である天皇と非常に密接な関係を持つ特殊な神社である。皇祖神を祀ることで伊勢神宮は国民からの最大の崇敬を獲得し、天皇は天照大神の子孫であることによって宗教的・政治的権威を得る。
内宮の御神体は、神話で天照大神からニニギに与えた神鏡そのものとされる。日本政府は神鏡について、皇室経済法第7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」に該当するとの見解を示すとともに、「天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである」とし、「神宮にその所有権があると解し得ないことは明らか」としており([1])、現在も皇室の財産であることが分かる。
祭主や大宮司の人事や式年遷宮の日程など、現在も重要な事項は天皇の許可を得ることになっている。神宮規則には、祭主は「皇族又は皇族であつた者とし、勅旨を奉じて定める」とし、大宮司の就任は「勅裁を仰ぐものとする」とあるように、祭祀と大宮司の就任には天皇の許可が必要であると定められている。
天皇は皇居に賢所を祀るが、それは伊勢神宮の神鏡の写しとされ、賢所を中心とする宮中祭祀は伊勢神宮の祭祀と関連を持っている。
太陽神としての信仰、外宮の豊受大神に対する食物の神としての信仰、大日如来や阿弥陀如来との同一視する信仰などあるとしても根幹になってきたのは皇祖神を祀る宗廟であったことにあると思われる。
奉斎
天照大神
豊受大神
由緒
記紀神話の天孫降臨に際して、天照大神がニニギに同床共殿の神勅とともに八咫の鏡を授けたのが起源。同床共殿の神勅は、この神鏡を天皇が住まいとする宮殿にともに祀ることを命じたもの。最初は神勅通りに祀られてきたが、10代崇神天皇の代、神威を畏怖して大和の笠縫邑に遷座し、11代垂仁天皇の代に倭姫命が鎮座にふさわしい地を探して各地を巡った結果、神託を受けて伊勢に祀ったとされる。皇大神宮の創建とされる。
当初は神鏡を奉斎する内宮しかなかったが、その後、21代雄略天皇の代に、天照大神の命で丹波(現在の丹後国)から等由気大神(豊受大神)を招き、神饌を司る神として鎮座した。これが外宮豊受大神宮である。
倭姫命が諸国を訪れ、天照大神を仮に祀った旧跡や豊受大神がもともと鎮座していた旧跡は元伊勢と呼ばれる。
歴史
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組織
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参考文献