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伊勢神宮 - SHINDEN

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伊勢神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*大中臣子老(?-789)<772->:大中臣清麻呂の次男。中臣氏から大中臣氏に改姓。772年(宝亀3年)神宮祭主。777年(宝亀8年)神祇伯。789年(延暦8年)1月25日死去。
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*大中臣淵魚(774-850)<813->:大中臣清麻呂の孫。813年(弘仁4年)神宮祭主。815年(弘仁6年)年神祇大副。神祇伯。850年(嘉祥3年)3月3日死去。77歳。
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*大中臣豊雄(?-870)<867->:867年(貞観9年)神宮祭主。
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*大中臣頼基(?-958)<939->:939年(天慶2年)神宮祭主。三十六歌仙の一人。
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*大中臣親隆(1105-1187)<1165->:1165年(永万1年)神宮祭主。神祇大副。1182年(寿永1年)辞任。1187年(文治3年)9月29日死去。83歳。
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===祭主(近代)===
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*1近衛忠房(1838-1873)<明治4-6>
*1近衛忠房(1838-1873)<明治4-6>

2018年1月29日 (月) 時点における版

神宮
じんぐう
概要 皇祖神を祀る神社。
奉斎 主祭神:天照大神、豊受大神
所在地 三重県伊勢市
所在地(旧国郡) 伊勢国度会郡
所属(現在) 神社本庁
格式など
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伊勢神宮(いせ・じんぐう)は、三重県伊勢市にある皇祖神天照大神を祀る神社。伊勢信仰の総本社。現在の正式名称は神宮である。官社(式内社)・二十二社伊勢神宮関連旧跡元伊勢も参照。

主祭神を祀る内宮皇大神宮とその神饌を司る豊受大神を祀る外宮豊受大神宮を中心に大小125社の神社から構成されている。内宮外宮のほか、別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社34社、別宮所管社8社が伊勢市周辺各地に分布している。

神社神道で最も重要な聖地とされる。天皇のレガリアである三種の神器の一つ八咫鏡を御神体とし、祭神の天照大神は太陽の女神であり天皇の祖先とされる。近代では社格を超越した存在とされ、通常の神社とは異なる法制度が整備されていた。現在は、神社本庁本宗と定められ、神社界あげて護持される。祭主、大宮司が置かれる唯一の神社で、組織も最大規模である。また古式に近い状態で式年遷宮が行われている唯一の神社でもある。

11代垂仁天皇の時代の創建とされ、さらに遡れば、天孫降臨の神話で天照大神がニニギに神勅を下したことに求められる。天武天皇が式年遷宮などの制度を整備し、中央集権国家が崩壊した中世でも、歴代の朝廷や幕府など時の政権の崇敬を受けた。外宮神職の度会氏による伊勢神道が生まれ、神道研究を進展させた。伊勢神宮の荘園が広がると、分霊の社が各地に設けられた。天皇の代理として祭祀を行う斎宮が断絶し、遷宮が中断するなど、苦難の時代もあったが、御師が全国に神宮大麻とともに信仰を広め、一般民衆の信仰も得て社殿を復興。近世にはお伊勢参りが大流行した。維新後、天皇を中心とする国家の聖地として重要視され、社殿、神域、組織、祭祀、諸制度が大改革された。明治2年には天皇の参拝が史上初めて行われた。


目次

概要

日本の最高の権威者である天皇と非常に密接な関係を持つ特殊な神社である。皇祖神を祀ることで伊勢神宮は国民からの最大の崇敬を獲得し、天皇は天照大神の子孫であることによって宗教的・政治的権威を得る。

内宮の御神体は、神話で天照大神からニニギに与えた神鏡そのものとされる。日本政府は神鏡について、皇室経済法第7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」に該当するとの見解を示すとともに、「天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである」とし、「神宮にその所有権があると解し得ないことは明らか」としており([1])、現在も皇室の財産であることが分かる。

祭主や大宮司の人事や式年遷宮の日程など、現在も重要な事項は天皇の許可を得ることになっている。神宮規則には、祭主は「皇族又は皇族であつた者とし、勅旨を奉じて定める」とし、大宮司の就任は「勅裁を仰ぐものとする」とあるように、祭祀と大宮司の就任には天皇の許可が必要であると定められている。

天皇は皇居賢所を祀るが、それは伊勢神宮の神鏡の写しとされ、賢所を中心とする宮中祭祀は伊勢神宮の祭祀と関連を持っている。

太陽神としての信仰、外宮の豊受大神に対する食物の神としての信仰、大日如来阿弥陀如来との同一視する信仰などあるとしても根幹になってきたのは皇祖神を祀る宗廟であったことにあると思われる。

奉斎

天照大神

豊受大神

由緒

記紀神話の天孫降臨に際して、天照大神がニニギに同床共殿の神勅とともに八咫の鏡を授けたのが起源。同床共殿の神勅は、この神鏡を天皇が住まいとする宮殿にともに祀ることを命じたもの。最初は神勅通りに祀られてきたが、10代崇神天皇の代、神威を畏怖して大和の笠縫邑に遷座し、11代垂仁天皇の代に倭姫命が鎮座にふさわしい地を探して各地を巡った結果、神託を受けて伊勢に祀ったとされる。皇大神宮の創建とされる。

当初は神鏡を奉斎する内宮しかなかったが、その後、21代雄略天皇の代に、天照大神の命で丹波(現在の丹後国)から等由気大神(豊受大神)を招き、神饌を司る神として鎮座した。これが外宮豊受大神宮である。

倭姫命が諸国を訪れ、天照大神を仮に祀った旧跡や豊受大神がもともと鎮座していた旧跡は元伊勢と呼ばれる。

歴史

古代

中世

近世

近代

境内

組織

祭主(前近代)

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
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  • 中臣人足(生没年不詳)<>:中臣垂目の孫。中臣島麻呂の子。神祇大副。神宮祭主。
  • 中臣東人(生没年不詳)<>:中臣意美麻呂の子。祭主。神祇伯。
  • 中臣国足(生没年不詳)<>:中臣国の子。645年(大化1年)神宮祭主。大和中臣寺を創建。
  • 18大中臣国雄(生没年不詳)<834->:834年(承和1年)神宮祭主。神祇大副。
  • 大中臣子老(?-789)<772->:大中臣清麻呂の次男。中臣氏から大中臣氏に改姓。772年(宝亀3年)神宮祭主。777年(宝亀8年)神祇伯。789年(延暦8年)1月25日死去。
  • 大中臣淵魚(774-850)<813->:大中臣清麻呂の孫。813年(弘仁4年)神宮祭主。815年(弘仁6年)年神祇大副。神祇伯。850年(嘉祥3年)3月3日死去。77歳。
  • 大中臣豊雄(?-870)<867->:867年(貞観9年)神宮祭主。
  • 大中臣有本(?-894)<872->:大中臣雄良の子。872年(貞観14年)神宮祭主。894年(寛平6年)2月死去。
  • 大中臣頼基(?-958)<939->:939年(天慶2年)神宮祭主。三十六歌仙の一人。
  • 大中臣能宣(921-991)<972->:大中臣頼基の子。972年(天禄3年)神宮祭主。正暦2年8月死去。71歳。三十六歌仙の一人。
  • 大中臣輔親(954-1038)<1001->:大中臣能宣の子。1001年(長保3年)神宮祭主。神祇伯。1038年(長暦2年)6月22日死去。85歳。三十六歌仙の一人。
  • 大中臣師親()<-1165>:
  • 大中臣親隆(1105-1187)<1165->:1165年(永万1年)神宮祭主。神祇大副。1182年(寿永1年)辞任。1187年(文治3年)9月29日死去。83歳。
  • 大中臣能隆(1146-1234)<1185->:大中臣親隆の次男。1185年(文治1年)神宮祭主。1190年(建久1年)神祇大副。1222年(貞応1年)再任。1230年(寛喜2年)辞任。
  • 大中臣能隆(1146-1234)<1222-1230>:再任。
  • 大中臣隆通(1208-1249)<1230->:大中臣能隆の七男。建長元年8月30日死去。42歳。
  • 藤波景忠
  • 藤波教忠(?-1891)<>:
  • 藤波慶忠
  • 藤波種忠
  • 藤波季忠(1739-1813)<>:冷泉宗家の次男。藤波和忠の養子。1739年(元文4年)1月26日生。1813年(文化10年)2月15日死去。75歳。
  • 藤波寛忠(-1824)<>:


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祭主(近代)

  • 1近衛忠房(1838-1873)<明治4-6>
  • 2三条西季知(1811-1880)<明治7-8>
  • 3久邇宮朝彦親王(1824-1891)<明治8-24>
  • 4有栖川宮熾仁親王(1835-1895)<明治24-28>
  • 5賀陽宮邦憲王(1867-1909)<明治28-42>
  • (臨時)久邇宮多嘉王(1875-1937)<明治42-大正8>
  • (臨時)久邇宮邦彦王(1873-1929)<大正4>
  • (臨時)鷹司煕通(1855-1918)<大正5>
  • 6久邇宮多嘉王<大正8-昭和12>
  • (臨時)梨本宮守正王(1874-1951)<昭和12-20>
  • 7北白川房子(北白川宮房子内親王)(1890-1974)<昭和22-49>
  • (臨時)鷹司和子(1929-1989 )<昭和48-49>
  • 8鷹司和子<昭和49-62>
  • 9池田厚子(1931-)<1887-2017>
  • (臨時)黒田清子(1969-)<平成24-25>
  • 10黒田清子()<2017->:平成29年(2017)6月19日就任。

大宮司・宮司

  • 1北小路随光(1832-1916)<>:
  • 2本庄宗秀(1809-1873)<>:宮津藩主、神道家。禊教開祖井上正鉄の弟子。
  • 3田中頼庸(1836-1897)<>:鹿児島藩士、国学者。神宮教初代管長。
  • (宮司)田中頼庸:上記参照。
  • 4(宮司)鹿島則文(1839-1901)<>:鹿島神宮出身の神職。鹿島神宮大宮司。
  • 5(宮司)冷泉為紀(1854-1905)<1900->:旧公卿の華族。伯爵。1875年(明治8年)家督を相続し、少講義。1880年(明治13年)、権少教正、宮内省御用掛。1890年(明治23年)貴族院議員。1898年(明治31年)3月、平安神宮宮司。同年6月、神宮少宮司(『神道人名辞典』に記載あるが、伊勢神宮の資料になし?)。1900年(明治33年)神宮大宮司。神前結婚式の創始に功績。
  • 冷泉為紀(1854-1905)<>:上記参照
  • 6三室戸和光(1842-1922)<>:
  • 7三条西実義(1866-1949)<>:
  • 8高倉篤麿()<>:
  • 9佐佐木行忠(1893-1975)<>:神社界の要職を歴任した昭和の華族。東京府出身。京都帝国大学卒。貴族院議員。貴族院副議長。侯爵。皇典講究所所長。戦後、伊勢神宮大宮司。神社本庁統理。国学院大学学長。
  • 10坊城俊良()<>:
  • 11徳川宗敬(1897-1989)<>:一橋徳川家当主。神社本庁統理。
  • 12二条弼基(1911-1985)<>:
  • 13慶光院俊()<>:
  • 14久邇邦昭(1929-)<>:
  • 15北白川道久(1937-)<>:
  • 16鷹司尚武(1945-)<-2017>:
  • 17小松揮世久(1949-)<2017->:

少宮司・権宮司

  • 1藤堂高泰(1828-1887)<>:津藩家老。1828年(文政11年)4月27日生。1878年(明治11年)第百五国立銀行を創設。1887年(明治20年)8月28日死去。60歳。
  • 2浦田長民(1840-1893)<>:国学者。1840年(天保11年)1月28日生。1871年(明治4年)、神祇省に出仕。1872年(明治5年)神宮少宮司。「神宮明治祭式」を制定。1893年(明治26年)10月2日死去。54歳。
  • 3(権宮司)藤岡好古(1846-1917)<>:弘化3年1月生。堀秀成に師事し、言語学を研究。神宮奉斎会会長。東京府神職連合会会長。1917年(大正6年)6月17日死去。72歳。
  • 4(権宮司)福原公亮(1827-1913)<>:山口藩士。華陽丸船将。大和神社宮司。1913年(大正2年)7月18日死去。87歳。福原清介。福原周峰。
  • 5(権宮司)岡部譲(1849-1937)<1894-1897>:国学者。賀茂真淵の子孫。内宮炎上の責任を感じ辞職。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 6(権宮司)桑原芳樹(1861-1943)<1897-1911>:(略歴は、熱田神宮#組織を参照)
  • 桑原芳樹(1861-1943)<>:
  • 7木野戸勝隆(1854-1929)<>:国学者。伊予出身。1854年(安政1年)11月9日生。矢野玄道に師事。1894年(明治27年)伊勢神宮禰宜。1910年(明治43年)神宮皇学館館長。1918年(大正7年)賀茂別雷神社宮司。1929年(昭和4年)11月13日死去。76歳。
  • 8今井清彦(1857-1922)<1914->:(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 9熊谷小太郎()<>:
  • 10菟田茂丸(1872-1968)<1931->:
  • 11慶光院利敬()<>:
  • 12古川左京()<>:
  • 13秋岡保治()<>:明治神宮権宮司。小石川大神宮名誉宮司。
  • 14杉谷房雄()<>:
  • 15小林巌雄()<>:
  • 16田中喜芳()<>:
  • 17慶光院俊()<>:
  • 18幡掛正浩(-2006)<>:子息はクボタ社長の幡掛大輔。
  • 19酒井逸雄()<>:
  • 20藤岡重孝()<>:
  • 21高城治延()<>:
  • 22亀田幸弘()<>:

画像

古典籍

参考文献


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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