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伊奈富神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月23日 (日)
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- | '''伊奈富神社'''(いのう・じんじゃ)は三重県鈴鹿市稲生西(伊勢国奄芸郡)にある神社。祭神は保食神大国道命で、相殿として西宮の豊宇賀能売命・稚産霊神と三大神の鳴雷光神・大山祇命を祀る(神社ウェブサイト)。[[官社]]。[[県社]]。[[ | + | '''伊奈富神社'''(いのう・じんじゃ)は三重県鈴鹿市稲生西(伊勢国奄芸郡)にある神社。祭神は保食神大国道命で、相殿として西宮の豊宇賀能売命・稚産霊神と三大神の鳴雷光神・大山祇命を祀る(神社ウェブサイト)。[[官社]]。[[県社]]。[[伊勢稲生・神宮寺]]がある。通称は'''稲生神社'''。'''伊奈冨神社'''。 |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | [[崇神天皇]] | + | [[崇神天皇]]の代の創建と伝える。東岡に祀っていた神霊を遷したという。早くから神宮寺が建てられた。平安時代の神像16体が伝わる。 |
三代実録によると865年、正五位上から従四位下となる。 | 三代実録によると865年、正五位上から従四位下となる。 | ||
1274年に正一位。この時授けられたという異なる書体で刻まれた「正一位稲生大明神」の扁額3点が現存する。 | 1274年に正一位。この時授けられたという異なる書体で刻まれた「正一位稲生大明神」の扁額3点が現存する。 | ||
古くから獅子舞神楽が行われていた。 | 古くから獅子舞神楽が行われていた。 | ||
- | + | 室町時代の境内図[http://www4.airnet.ne.jp/sakura/big_edu/3syaezu/3syaezu_fr3.html]によると西宮・大宮・三大神の三社があった。 | |
祭神は、西宮が地主姫大神、大宮が奈江大国道命(保食神)、三大神が鳴雷神という。 | 祭神は、西宮が地主姫大神、大宮が奈江大国道命(保食神)、三大神が鳴雷神という。 | ||
1908年、西宮と三大神は境内社と共に大宮に合祀。 | 1908年、西宮と三大神は境内社と共に大宮に合祀。 | ||
1873年、郷社。1904年県社。 | 1873年、郷社。1904年県社。 | ||
- | + | 菩薩堂(米ノ宮)、豊御崎神社、天王社、祖霊社(招魂社)などがある。西宮跡と三大神跡には石碑が立つ。 | |
- | + | 七島池は神社庭園として最古級のものという。 | |
+ | 創始の地、東岡には[[東ケ丘神社]]がある。 | ||
+ | (『日本歴史地名大系』、神社ウェブサイトほか) | ||
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2019年6月23日 (日) 時点における最新版
伊奈富神社(いのう・じんじゃ)は三重県鈴鹿市稲生西(伊勢国奄芸郡)にある神社。祭神は保食神大国道命で、相殿として西宮の豊宇賀能売命・稚産霊神と三大神の鳴雷光神・大山祇命を祀る(神社ウェブサイト)。官社。県社。伊勢稲生・神宮寺がある。通称は稲生神社。伊奈冨神社。
歴史
崇神天皇の代の創建と伝える。東岡に祀っていた神霊を遷したという。早くから神宮寺が建てられた。平安時代の神像16体が伝わる。 三代実録によると865年、正五位上から従四位下となる。 1274年に正一位。この時授けられたという異なる書体で刻まれた「正一位稲生大明神」の扁額3点が現存する。 古くから獅子舞神楽が行われていた。 室町時代の境内図[1]によると西宮・大宮・三大神の三社があった。 祭神は、西宮が地主姫大神、大宮が奈江大国道命(保食神)、三大神が鳴雷神という。 1908年、西宮と三大神は境内社と共に大宮に合祀。 1873年、郷社。1904年県社。 菩薩堂(米ノ宮)、豊御崎神社、天王社、祖霊社(招魂社)などがある。西宮跡と三大神跡には石碑が立つ。 七島池は神社庭園として最古級のものという。 創始の地、東岡には東ケ丘神社がある。 (『日本歴史地名大系』、神社ウェブサイトほか)