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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

伊奈富神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2019年6月23日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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伊奈富神社(いのう・じんじゃ)は三重県鈴鹿市稲生西(伊勢国奄芸郡)にある神社。祭神は保食神大国道命で、相殿として西宮の豊宇賀能売命・稚産霊神と三大神の鳴雷光神・大山祇命を祀る(神社ウェブサイト)。官社県社伊勢稲生・神宮寺がある。通称は稲生神社伊奈冨神社

歴史

崇神天皇の代の創建と伝える。東岡に祀っていた神霊を遷したという。早くから神宮寺が建てられた。平安時代の神像16体が伝わる。 三代実録によると865年、正五位上から従四位下となる。 1274年に正一位。この時授けられたという異なる書体で刻まれた「正一位稲生大明神」の扁額3点が現存する。 古くから獅子舞神楽が行われていた。 室町時代の境内図[1]によると西宮・大宮・三大神の三社があった。 祭神は、西宮が地主姫大神、大宮が奈江大国道命(保食神)、三大神が鳴雷神という。 1908年、西宮と三大神は境内社と共に大宮に合祀。 1873年、郷社。1904年県社。 菩薩堂(米ノ宮)、豊御崎神社、天王社、祖霊社(招魂社)などがある。西宮跡と三大神跡には石碑が立つ。 七島池は神社庭園として最古級のものという。 創始の地、東岡には東ケ丘神社がある。 (『日本歴史地名大系』、神社ウェブサイトほか)

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