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伏見・西方寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年11月28日 (土)
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金札宮神職の金松弥三郎が[[覚如]]に帰依して空性坊了源([[仏光寺]]中興と同名)と名乗り、久米寺を再興し、[[存覚]]に寄進したという。 | 金札宮神職の金松弥三郎が[[覚如]]に帰依して空性坊了源([[仏光寺]]中興と同名)と名乗り、久米寺を再興し、[[存覚]]に寄進したという。 | ||
1322年(元亨2年)のことともいう。1355年(正平10年/文和4年)[[後光厳天皇]]から寺号を賜り、1523年(大永3年)[[後柏原天皇]]の[[勅願所]]となったという。文禄年間、[[豊臣秀吉]]の伏見城下町建設で久米町に移転。慶長年間に[[徳川家]]により現在地に移転した。 | 1322年(元亨2年)のことともいう。1355年(正平10年/文和4年)[[後光厳天皇]]から寺号を賜り、1523年(大永3年)[[後柏原天皇]]の[[勅願所]]となったという。文禄年間、[[豊臣秀吉]]の伏見城下町建設で久米町に移転。慶長年間に[[徳川家]]により現在地に移転した。 | ||
- | [[二十四輩]] | + | [[二十四輩]]の寺院とされる。金松御坊と呼ばれた[[御坊寺院]]ともいう。(日本歴史地名大系、伏見民政誌ほか) |
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===歴代=== | ===歴代=== | ||
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*7龍玄()<>:慶聞坊。[[蓮如]]の側近。金森の道西の甥。 | *7龍玄()<>:慶聞坊。[[蓮如]]の側近。金森の道西の甥。 | ||
*8空真()<>:室は[[蓮如]]の孫の妙忍尼。 | *8空真()<>:室は[[蓮如]]の孫の妙忍尼。 |
2020年11月28日 (土) 時点における最新版
西方寺(さいほうじ)は京都府京都市伏見区風呂屋町にある浄土真宗寺院。真宗大谷派。山号は光明山。(参考:同名寺院西方寺)
歴史
もとは天台宗で久米寺といい、金札宮の神宮寺として創建された。 金札宮神職の金松弥三郎が覚如に帰依して空性坊了源(仏光寺中興と同名)と名乗り、久米寺を再興し、存覚に寄進したという。 1322年(元亨2年)のことともいう。1355年(正平10年/文和4年)後光厳天皇から寺号を賜り、1523年(大永3年)後柏原天皇の勅願所となったという。文禄年間、豊臣秀吉の伏見城下町建設で久米町に移転。慶長年間に徳川家により現在地に移転した。 二十四輩の寺院とされる。金松御坊と呼ばれた御坊寺院ともいう。(日本歴史地名大系、伏見民政誌ほか)