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伏見・西方寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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西方寺(さいほうじ)は京都府京都市伏見区風呂屋町にある浄土真宗寺院。真宗大谷派。山号は光明山。(参考:同名寺院西方寺

歴史

もとは天台宗久米寺といい、金札宮の神宮寺として創建された。 金札宮神職の金松弥三郎が覚如に帰依して空性坊了源(仏光寺中興と同名)と名乗り、久米寺を再興し、存覚に寄進したという。 1322年(元亨2年)のことともいう。1355年(正平10年/文和4年)後光厳天皇から寺号を賜り、1523年(大永3年)後柏原天皇勅願所となったという。文禄年間、豊臣秀吉の伏見城下町建設で久米町に移転。慶長年間に徳川家により現在地に移転した。 二十四輩の寺院とされる。金松御坊と呼ばれた御坊寺院ともいう。(日本歴史地名大系、伏見民政誌ほか)

組織

歴代

  • 1存覚()<>:
  • 7龍玄()<>:慶聞坊。蓮如の側近。金森の道西の甥。
  • 8空真()<>:室は蓮如の孫の妙忍尼。
  • 21空覚(1804-1871)<>:闡彰院。東本願寺護法場主管。宗政改革をはかるが守旧派の反発を買い、1871年(明治4年)11月3日に暗殺された。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E3%83%BB%E8%A5%BF%E6%96%B9%E5%AF%BA」より作成

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