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会津・東明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月17日 (火)
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1277年、[[一遍]]が創建と伝える。郭内諏訪神社の東にあったが、1617年大町に移転。江戸時代には本堂と御影堂と多くの子院があった。 | 1277年、[[一遍]]が創建と伝える。郭内諏訪神社の東にあったが、1617年大町に移転。江戸時代には本堂と御影堂と多くの子院があった。 | ||
+ | 江戸時代には末寺8寺ながら「当麻東明寺派」(当麻派末寺帳)とも呼ばれ、中本山としての格式があった。 | ||
1868年に戊辰戦争で焼失。官軍の戦死者を葬った[[東明寺官軍墓地]]がある。[[会津若松招魂社]]があった。1882年、道路拡張で移転。 | 1868年に戊辰戦争で焼失。官軍の戦死者を葬った[[東明寺官軍墓地]]がある。[[会津若松招魂社]]があった。1882年、道路拡張で移転。 | ||
(『日本歴史地名大系』ほか) | (『日本歴史地名大系』ほか) | ||
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2021年8月17日 (火) 時点における最新版
東明寺(とうみょうじ)は福島県会津若松市大町にある時宗寺院。時宗当麻派だった。山号は当麻山。(参考:同名寺院東明寺)
歴史
1277年、一遍が創建と伝える。郭内諏訪神社の東にあったが、1617年大町に移転。江戸時代には本堂と御影堂と多くの子院があった。 江戸時代には末寺8寺ながら「当麻東明寺派」(当麻派末寺帳)とも呼ばれ、中本山としての格式があった。 1868年に戊辰戦争で焼失。官軍の戦死者を葬った東明寺官軍墓地がある。会津若松招魂社があった。1882年、道路拡張で移転。 (『日本歴史地名大系』ほか)