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伝香寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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筒井順慶が1584年に亡くなった後、母の芳秀尼が正親町天皇の勅許で唐招提寺象耳泉奘を招いて創建。本堂と表門は創建時のものという。 | 筒井順慶が1584年に亡くなった後、母の芳秀尼が正親町天皇の勅許で唐招提寺象耳泉奘を招いて創建。本堂と表門は創建時のものという。 | ||
本尊の釈迦如来坐像には1585年の銘文があり、豊臣秀吉が建てた京都・方広寺の大仏の「試みの仏」といわれる。 | 本尊の釈迦如来坐像には1585年の銘文があり、豊臣秀吉が建てた京都・方広寺の大仏の「試みの仏」といわれる。 | ||
- | + | 裸形地蔵菩薩は胎内願文に1228年の春日明神の本地仏として造立された。地蔵と納入品の仏舎利、薬師如来、十一面観音と合わせて春日四神の本地仏と合致し、天児屋命の本地仏としての地蔵を表現した「春日地蔵」とみられる。結縁者には重源・貞慶・明遍らがいる。 | |
1983年、筒井順慶400年遠忌に際して順慶坐像が造立され、新たに建立された順慶堂に奉安された。 | 1983年、筒井順慶400年遠忌に際して順慶坐像が造立され、新たに建立された順慶堂に奉安された。 | ||
2021年12月9日 (木) 時点における版
伝香寺(でんこうじ)は、奈良県奈良市にある南都仏教寺院。筒井順慶の菩提寺。開山は唐招提寺57世の象耳泉奘(1518-1588)。実円寺跡と伝える。
筒井順慶が1584年に亡くなった後、母の芳秀尼が正親町天皇の勅許で唐招提寺象耳泉奘を招いて創建。本堂と表門は創建時のものという。 本尊の釈迦如来坐像には1585年の銘文があり、豊臣秀吉が建てた京都・方広寺の大仏の「試みの仏」といわれる。 裸形地蔵菩薩は胎内願文に1228年の春日明神の本地仏として造立された。地蔵と納入品の仏舎利、薬師如来、十一面観音と合わせて春日四神の本地仏と合致し、天児屋命の本地仏としての地蔵を表現した「春日地蔵」とみられる。結縁者には重源・貞慶・明遍らがいる。 1983年、筒井順慶400年遠忌に際して順慶坐像が造立され、新たに建立された順慶堂に奉安された。
伽藍
- 本堂
- 地蔵堂
- 順慶堂
- 弁財天社
- 芳秀墓
- 筒井家供養塔
- ゆるぎ地蔵
- 実円寺跡