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住吉神宮寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
住吉神宮寺
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[[ファイル:Kirihataji 07.JPG|徳島[[切幡寺]]に移築された神宮寺西塔|thumb|500px]] '''神宮寺'''(じんぐうじ)は大阪府大阪市住吉区住吉(摂津国住吉郡)にあった[[天台宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]。[[住吉大社]]の[[神宮寺]]。本宮と[[大海神社]]の間にあった。廃絶。'''住吉神宮寺'''、'''新羅寺'''とも。[[津守寺]]・[[荘厳浄土寺]]と共に'''住吉三大寺'''と呼ばれた。寺領360石。[[寛永寺]]末だった。[[住吉大社関連旧跡]]。 ==本尊== 本尊は薬師如来、[[十二神将]]、[[四天王]]。本尊は三韓より伝来の尊像で、「新羅寺」という寺院の仏頂を石櫃に収め、土中に収め秘仏とした(住吉勘文)。 本尊は[[大日如来]]とも。 ==歴史== [[ファイル:摂津名所図会・住吉大社・住吉神宮寺.jpg|thumb|1000px|江戸時代の住吉神宮寺(摂津名所図会)]] *758年(天平宝字2年):高貴徳王菩薩(住吉大神の一所の本地という)の託宣により創建(古今著聞集)。 *940年(天慶3年)11月21日:明達、勅命により[[藤原純友]]の調伏祈願として[[毘沙門天]]調伏法を行った。元亨釈書には937年(承平7年)11月21日とある。 *1607年(慶長12年):[[豊臣秀頼]]の寄進で東塔・西塔を再建。 *1619年(元和5年):護摩堂を建立。 *1702年(元禄15年):護摩堂を神宮寺から神社側に移管。 *明治初年:神仏分離で廃絶。西僧坊にあった今主社は移転して現存する。 ==伽藍== *本堂:本尊は薬師如来。 *常行三昧堂:本尊は[[阿弥陀如来]]か。 *法華三昧堂:本尊は[[普賢菩薩]]か。 *東塔:1607年(慶長12年)、豊臣秀頼の寄進で再建。廃絶。 *西塔:1607年(慶長12年)、豊臣秀頼の寄進で再建。徳島[[切幡寺]]に移築され現存。 *求聞持堂:本尊は[[虚空蔵菩薩]]か。 *大日堂:本尊は[[大日如来]]か。 *輪蔵: *護摩堂:1702年(元禄15年)に神宮寺から神社側に所有を移された。現在の招魂社社殿。 *今主社:祭神は津守国助。移転して住吉大社末社として現存する。 *(読経所):第一本宮の回廊内の北側にあった。 *(供養詰所):本殿の南側にあった。 *([[生根神社]]):神宮寺の社僧が奉仕した。 *(奥天神観音堂):本尊は[[十一面観音]]。第四本宮の本地仏で、尊像は[[神功皇后]]が三韓征伐の時に乗船の帆材を使って刻んだものという。生根神社本殿の東にあった。神宮寺の社僧が法要を務めた。「中の観音」、「奥の観音」。廃絶。 ==画像== <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> ファイル:住吉大社・住吉神宮寺跡.jpg|跡地碑 ファイル:Kirihataji 07.JPG|切幡寺に移築された神宮寺西塔 ファイル:住吉大社・神宮寺西塔・模型.JPG|神宮寺西塔模型 ファイル:Sumiyoshi-taisha (36).jpg|住吉大社招魂社(旧護摩堂) ファイル:住吉大社・招魂社-01.jpeg|住吉大社招魂社(旧護摩堂) ファイル:住吉大社・招魂社-02.jpeg|住吉大社招魂社(旧護摩堂) ファイル:住吉大社・境内社・今主社.jpeg|元は神宮寺西僧坊にあった今主社 ファイル:Sumiyoshi-taisha (45).jpg|神宮寺社僧が奉仕していた生根神社 </Gallery> ==資料== 1928『住吉村誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1189974/1/247] [[category:大阪府]]
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