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使徒ペトロ旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月9日 (月)
使徒ペトロ(生没年不詳)は、キリスト教の創始者イエスの高弟。カトリックでは、初代ローマ教皇・初代ローマ司教とされ、正教会などでは初代アンティオキア総主教とされる。 十二使徒の一人。正教会ではパウロと共に首座使徒とされる。ロシアの古都サンクトペテルブルクの名前の由来にもなっている。
目次 |
歴史
略歴
- 不詳:ガリラヤ湖畔のベツサイダで誕生。初名はシモン(シメオン)。弟にアンデレがいる。
- 不詳:洗礼者ヨハネの弟子となる。
- 不詳:イエスの弟子となる。ペトロ(ケパ)の名前を与えられた。
- 不詳:ヨハネ、ヤコブと共に「主イエスの変容」に立ち会う
- 33年:イエスの受難。マルコスの右耳を切り落とす。イエスから「私のことを3度知らないと答える」と予言され、その通りになる。
- 33年:イエス処刑。
- 33年:故郷のガリラヤ湖畔で、復活したイエスと出会い、教会の指導者とされた。
- 不詳:ヤッファで、皮なめしのシモンの家に滞在して伝道の拠点とする。
- 不詳:アンティオキア滞在。後世、初代アンティオキア総主教とされる。
- 不詳:伝道のためにローマに赴く。後世、初代ローマ教皇・初代ローマ司教とみなされた。
- 不詳:迫害を逃れようとローマを脱出するが、その途中でイエスと出会い、思い直してローマに戻る。
- 64年頃:ローマで殉教したとされる。
崇敬史
- 64年頃:ローマに埋葬。使徒ペトロ墓はカタコンベとなり、その上にやがてサンピエトロ大聖堂が築かれたという。
- 1626年:ローマのサンピエトロ大聖堂の現在の伽藍が建設される
- 1703年:サンクトペテルブルク建設
- 1939年:ローマ教皇、サンピエトロ大聖堂の地下墓地の発掘を開始。男性の遺体がみつかる
- 1949年:サンピエトロ大聖堂地下で見つかった男性遺体が使徒ペトロものとして報じられる
- 1968年:ローマ教皇、男性遺体をペトロのものだと確認されたと発表する
- 2013年11月24日:ローマ教皇、「ペトロの棺」を初めて公開。
一覧
旧跡
- ベツサイダ:イスラエル国。ガリラヤ湖畔。生誕地。
- サンピエトロ大聖堂:ローマ。
- 使徒ペトロ墓:ローマ。サンピエトロ大聖堂の地下にある。
- サンセバスティアーノフォリレムーラ聖堂:ローマ。こちらが墓所といわれた時代もあるという。
- ドミネクォヴァディス教会:ローマ。迫害から逃れようとローマを脱出したペトロが、イエスと出会い、「主よ、どこへ行かれるのですか」と問い、思い直してローマに戻ることを決意したとされる地
- 聖ペテロ首位権教会:イスラエル国北部地区タブハ。ガリラヤ湖畔。聖ペテロが復活したイエスと会食し、信者の指導を委ねられた場所とされる岩の上にある。 聖ペテロ召命教会。
- メンザクリスティ教会:イスラエル国北部地区ナザレ。聖ペテロが復活したイエスと会食したとされる場所にある。
- 鶏鳴の聖ペトロ教会堂:イスラエル国エルサレム旧市街。城壁外南側のシオンの丘近くにある。イエスが逮捕されたときに、夜明けの鶏鳴までにペテロがイエスを知らないと三度答えたことを象徴する。
- ヤッファの聖ペテロ教会:イスラエル国テルアビブのヤッファ。ペテロは、この街を布教の拠点とした。カトリック・フランシスコ修道会。
- ティベリアの聖ペテロ教会:イスラエル国ガリラヤ湖北西岸のティベリア。ガリラヤ湖で漁師をしていた使徒ペテロを記念する。
- 七使徒聖堂:イスラエル国カペナウム。ガリラヤ湖畔。正教会。
- 聖ペテロの家教会:イスラエル国カペナウム。ガリラヤ湖畔。
- 皮なめしのシモンの家:ヤッファ。ペトロが滞在した。
その他
- トリーア大聖堂:ドイツのトリーア。カトリックの大聖堂。トリーアの聖ペテロ大聖堂。
- ブルノの聖ペテロ聖パウロ大聖堂:チェコ。ブルノ教区の司教座。
- カウナス大聖堂:リトアニア。聖ペテロとパウロ大聖堂
- 名古屋カテドラル聖ペトロ聖パウロ大聖堂
- リガの聖ペテロ教会:ラトビア。リガ。ルーテル教会。
- ウィーンのペーター教会:オーストリア。カトリック
- サンクトペテルブルクの首座使徒ペトルパウェル大聖堂:ロシア連邦サンクトペテルブルク。
- カザンの首座使徒ペトルパウェル大聖堂:ロシア連邦タタールスタン共和国カザン。
- ノヴィパザルの聖ペトル聖堂:セルビア。ノヴィパザル。国内現存最古のキリスト教建築であり、バルカン半島でも現存最古。
典籍
- ペトロの手紙1:新約聖書
- ペトロの手紙2:
- ペトロの黙示録:新約聖書外典。正典として認められなかったが影響は大きい
- ペトロ行伝:新約聖書外典。ローマでの殉教を記す