ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
修験道の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
修験道の人物旧跡
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[修験道]]の[[人物旧跡]]。 ==一覧== ===開祖とその弟子・親族=== *[[役小角]](生没年不詳):[[修験道]]の開祖。[[賀茂氏]]。[[吉祥草寺]]あるいは奥田で生まれ、[[葛城山]]、[[吉野山]]など各地の霊山を開いたという。[[伊豆大島]]に流され、[[行者窟]]に籠もった。赦免されて戻った後、[[箕面山]]の山頂から昇天したという。神変大菩薩、役行者、役優婆塞、山上様。 *義学:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。義覚。前鬼。子孫は前鬼山に住んだという。 *義玄:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。義賢。後鬼。子孫は洞川に住んだという。 *義真:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。 *寿元:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。 *芳元:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。 *角仁:桜本坊の開山。役小角の弟子。 *賀茂間介麻呂:役小角の父。[[賀茂氏]]。高賀茂真影麻呂。 *白専女:役小角の母。渡都岐比売。刀自女。都都岐。[[刀良売墓]]。 ===奈良時代以前=== *善正(生没年不詳):[[英彦山]]の開祖。北魏の孝武帝(510-535)の皇子という。 *卜仙(生没年不詳):[[求菩提山]]の開祖。猛覚魔。継体天皇20年に求菩提山を開いたという。 *忍辱(生没年不詳):英彦山の開祖。藤原恒雄。継体天皇25年、善正に師事して共に英彦山を開いたという。 *[[聖徳太子]](574-622): *[[蜂子皇子]](生没年不詳):[[出羽三山]]の開山。[[崇峻天皇]]皇子で、[[聖徳太子]]のいとこにあたる。能除太子、照見大菩薩。 *弘俊():羽黒山。能除太子の弟子。 *心蓮():[[宝満山]]の開山。 *慈興(生没年不詳):[[立山]]の開山。701年(大宝1年)、熊の姿で現れた阿弥陀如来に導かれて立山を開いたという。俗名は佐伯有頼。 ===奈良時代=== *[[徳道]](656-?):[[長谷寺]] *[[行基]](668-749):金峰山寺を再建。 *仁聞(生没年不詳):[[六郷満山]]の開山。[[八幡神]]の化身。 *金蓮(生没年不詳):[[伯耆大山]]の開山。猟師だったが、地蔵菩薩に導かれて養老年間(717-724)に[[伯耆・大山寺]]を開いたという。俗名は依道。 *行善(生没年不詳):720年(養老4年)求菩提山に白山権現を祀り、護国寺などを創建。 *寂仙(?-758):[[石鎚山]]の行者。[[嵯峨天皇]]の前世と言われる。寂仙菩薩。 *[[泰澄]](682-767):[[白山]]の開山。京都[[愛宕山]]を開いたともされる。越の大徳、神融禅師。 *法蓮(生没年不詳):[[英彦山]][[霊仙寺]]の開山。 *[[鑑真]](688-763):日本の律宗の開祖。[[葛城山]]に伝説が残る。 *[[良弁]](689-773):[[東大寺]]開山。[[石山寺]]開山。[[相模大山]]開山。義淵に法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶが、雑密も学んだ。東大寺四聖。墓は、[[大和・開善寺]]跡にある。 *神叡(?-777):自然智宗。吉野[[比曽寺]]で虚空蔵求聞持法を感得したという。 *慶俊(生没年不詳):大安寺の僧。京都愛宕山を中興したとされる。 *[[報恩]](?-795):備前で活躍した伝説的な僧侶。吉野山で修行した。報恩大師。 ===平安時代=== *[[万巻]](720-816):[[箱根山]]の開山。[[鹿島神宮]]、[[多度大社]]に神宮寺を創建。満願とも。 *[[勝道]](735-817):[[日光山]]の開山。 *[[最澄]](767-822):日本[[天台宗]]の開祖。[[比叡山]]の開山。伝教大師。 *[[空海]](774-835):日本[[真言宗]]の開祖。吉野山で修行。[[高野山]]の開山。弘法大師。 *[[円珍]](814-891):天台宗[[寺門派]]の開祖。智証大師(智證大師)。 *学問(生没年不詳):戸隠修験の開祖。平安時代前期。850年、飯綱山で修行した後、霊地を求めて金剛杵を投げたら戸隠の岩屋に落ちた。そこで読経すると九頭龍が現れ、伽藍を建てるように告げて戸を閉めて隠れた。学門とも。学問行者。学門行者。 *[[相応]](831-918):比叡山の千日回峰行を創始する。 *[[聖宝]](832-909):修験道[[当山派]]の開祖。 *観賢(854-925):聖宝の弟子。醍醐寺座主。 *貞崇(866-944):聖宝の弟子。鳳閣寺を開く。 *助憲():900年(昌泰3年)、宇多上皇を先導し、金峰山検校となる。 *日蔵(905?-985?):三善清行の子と言われる。[[金峰山]]で修行。冥界で[[菅原道真]]と[[醍醐天皇]]に会ったという。道賢上人。 *[[性空]](910-1007):[[霧島山]]の開山。[[播磨・円教寺]]開山。書写上人。 *[[良源]](912-985): *兼俊():[[正暦寺]]開山。九条兼家の子。992年正暦寺を創建。 *応照(生没年不詳):日本初の焼身入定僧という。平安時代中期。那智山で修行。 *長明(生没年不詳):[[戸隠]]で焼身捨身。平安時代中期。 *[[増誉]](1032-1116):修験道[[本山派]]の開祖。 *長快(1037-1122):熊野別当15代。 *行尊(1057-1135):本山派の僧侶。熊野三山検校2代。[[西国三十三所霊場]]を開いたとも言われる。園城寺長吏。天台座主。平等院大僧正。 *末代(生没年不詳):[[富士山]]の[[村山修験]]の開祖。 *高算():白河上皇の帰依を受けた。金峰山寺の蓮華会を始めた。安禅寺を開いた。瀧光寺の近くが没地とされ、[[高算堂]]がある。 *教懐(1001-1093):高野聖の祖。 *頼厳(生没年不詳):求菩提山中興。延暦寺行尊に修験道を学び、求菩提山千日行を始め、護国寺を再興した。1142年の銅板法華経に名が残る。 *隆明(1020-1104):園城寺長吏。[[三室戸寺]]を再興。 *[[重源]](1121-1206): *行勝(1130-1217):高野山[[五坊寂静院]]を創建。[[丹生都比売神社]]を再興。丹生都比売神社若宮祭神。 *慶円(1140-1223):[[平等寺]]開山。 *信円(1153-1224):正暦寺中興。藤原忠通の子。金峰山検校。 *[[貞慶]](1155-1213):興福寺の学僧。笠置寺に隠棲。 *静恵法親王(1164-1203):聖護院門跡で初の皇族。後白河天皇皇子。 *慶乗():那智の補陀落渡海の史料上の初出。平安時代後期。 ===鎌倉時代=== *長厳():後鳥羽上皇の先達。真言宗。那智山検校。 *湛増(生没年不詳):熊野別当21代。源平合戦で、最初平家に就いたが、鶏を闘わせて[[源氏]]の勝利を占い([[闘鶏神社]]の名前の由来)、源氏に就く。熊野水軍を統率。 *[[文覚]](生没年不詳):神護寺中興。 *頼仁親王(1201-1264):[[児島修験]]の開祖。[[後鳥羽天皇]]皇子。承久の乱に関わった罪で備前児島に流され、[[五流尊瀧院]]を中興。冷泉宮、児島宮。 *覚仁親王(1198-1266):[[園城寺]]長吏。後鳥羽天皇皇子。頼仁親王の兄。後嵯峨上皇の熊野行幸の先達を務める。児島に移り、のち弟とともに五流尊瀧院を中興したとされる。桜井宮。 *徹雲():建長年間、[[後山]]を開き、[[道仙寺]]を創建したという。 *円海():建長年間、世義寺を中興。 *弁覚():常陸国出身。大方氏。関政平の弟。熊野修験を学び、大峰山の笙ノ窟で修行。日光修験の中興。日光山座主。1240年、光明院創建。 *頼尊():富士山の村山修験の祖。鎌倉時代末期。 *勝尊(?-1310):荒沢寺の開山。 ===南北朝・室町時代=== *宗信(生没年不詳):後醍醐天皇を迎えた吉野[[吉水院]]の僧。 *文観(1278-1357): *助有法親王(1320-1349):後伏見天皇皇子。英彦山座主の祖。 *志一():1362年(正平17年/貞治1年)[[七宝瀧寺]]を中興。 *俊源():1375年(天授1年/永和1年)高尾山に飯綱権現を祀る。 *良瑜(1330-1397):本山派の深仙灌頂を整備。 *満済(1378-1435):三宝院門跡の醍醐寺座主兼務の始まり。 *[[道興]](1430-1501):[[聖護院門跡]]。京都から出発し、北陸、関東、東北地方まで巡歴し、諸寺を訪ねた。有力寺院の末寺化を図ったとみられる。その時の紀行文『廻国雑記』が残る。 *法霊():法霊大明神として祀られた。 *道満():三峰山観音院の開山。文亀年間。 *延恵(生没年不詳):東大寺法華堂衆。小野流。当山派の重鎮だった。大峰山に13度入峰。 *即伝(生没年不詳):各地の霊山を巡り、多くの流派を学び、修験道教学を大成したとされている。 *道澄(1544-1608):聖護院門跡。豊臣秀吉が発願した京都方広寺の住職となる。近衛稙家の子。 ===近世=== *[[天海]](1536-1643):[[日光東照宮]]を創建。[[金峰山寺]]学頭に就任し、山内金輪王寺の名前を日光に移す。慈眼大師。 *[[角行]](1541-1646):[[角行系富士信仰]]の開祖。[[富士講]]、[[扶桑教]]、[[実行教]]の開祖に仮託される。 *義演(1558-1626):[[三宝院門跡]]。[[醍醐寺]]の中興の祖。東寺長者。 *澄存(?-1652):今川氏真の子。住心院で活躍。 *天宥(1606-1674):[[出羽三山]]の中興の祖。 *心城():竹林院住職。元禄の山上本堂再建に尽力。 *[[円空]](1632-1695): *高賢(?-1707):三宝院門跡として初めて入峰。義演に師事。宝池院大僧正。 *俊尊():当山派の諸国総袈裟頭の初代。大和[[鳳閣寺]]住職。 *日光():三峰山のオイヌサマ信仰を興隆させる。1720年、眷属の札を配り始めた。 *[[身禄]](1671-1733):角行系富士信仰の行者。[[富士山]]で断食入定。 *村上光清(1683-1759):富士講の行者。 *高田藤四郎(1706-1782):富士講の行者。身禄の死に際し、富士信仰を喧伝。[[富士塚]]を初めて築いた。 *[[覚明]](1718-1786):[[木曽御嶽信仰]]の開祖。 *[[木喰]](1718-1810): *[[普寛]](1731-1801):木曽御嶽信仰の開祖。 *役藍泉(1751-1809):儒学者。本山派。周防徳山の教学院住職。藩校鳴鳳館教授。島田藍泉。 *鉄門海(): *小谷三志(1766-1841):[[不二道]]の開祖。禄行。 *行智(1778-1841):当山派の学僧。サンスクリットに明るく、[[平田篤胤]]に教授したという。江戸の銀杏八幡宮別当覚吽院に住した。『木葉衣』『踏雲録事』の著者。当山派の総学頭。 *[[播隆]](1786-1840):信濃[[槍ケ岳]]を開山した江戸時代の[[浄土宗]]僧侶。越中出身。 *美泉定山(1815-1877):[[高野山]]、[[出羽三山]]などで修行。蝦夷に渡り、札幌の定山渓温泉を開く。 ===近代=== *佐竹織江(1816-1864):[[英彦山]]の僧侶。伏見で捕まり禁門の変のときに処刑。 *政所有緜(1821-1866):英彦山座主代。尊皇攘夷派の志士。山口藩に乗じ、挙兵を計画するが、小倉藩に捕まり処刑。 *鷹羽浄典(1823-1866):英彦山執当。尊皇攘夷派の志士。山口藩に乗じ、挙兵を計画するが、捕まり処刑。 *高千穂教有(1824-1872):英彦山座主。[[英彦山神社]]宮司。山口藩に乗じ、挙兵を計画するが捕まる。高千穂家はのち華族になる。 *渋川栄承(1827-1866):英彦山の僧侶。政所有緜らとともに処刑。 *柏木民部(1828-1871):英彦山の僧侶。奇兵隊に加わる。祐玉坊慶典。 *橋本有幸(1834-1890):英彦山の僧侶。小倉藩に捕まるが、脱獄して英彦山に戻った。 *阿部豪逸(1834-1882):英彦山の僧侶。禁門の変に加わる。中坊豪端。 *水谷左門(1844-1864):英彦山の僧侶。禁門の変で戦死。水口坊観清。 *[[実利]](1843-1884):[[那智の滝]]で捨身。林実利、実利行者。 *[[柴田花守]](1809-1890):[[実行教]]初代管長。小谷三志に学ぶ。不二道を近代化して教派神道教団の実行教として組織。咲行。 *[[宍野半]](1844-1884):[[扶桑教]]初代管長。国学者。平田鉄胤に師事。富士講を糾合して扶桑教を設立。 *下山応助(生没年不詳):[[木曽御嶽信仰]]の行者。御嶽講を糾合して[[御嶽教]]の設立に尽力するが行方不明となる。 *[[平山省斎]](1815-1890):[[御嶽教]]初代管長。[[大成教]]の開祖。元は幕臣。外国奉行などを務める。失踪した下山応助に代わり、御嶽教管長に就任。 *[[伊藤六郎兵衛]](1829-1894):[[丸山教]]の開祖。 *日円():東南院中興。 *能行():六郷満山 *盛誉():八菅山中興。 *安皎():飯道寺開山。 *雅顕():熊野修験の開祖 *宗円():月山を開く。 *真通():竹林院中興。 *道融():注連寺 *道遠(): *是与():熊野長床衆の祖 [[category:人物旧跡|*]]
修験道の人物旧跡
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ