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修験道の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
修験道の人物旧跡
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[[修験道]]の[[諸師旧跡]] ==一覧== ===飛鳥時代=== *[[蜂子皇子]](生没年不詳):[[出羽三山]]の開山。[[崇峻天皇]]皇子で、[[聖徳太子]]のいとこにあたる。'''能除太子'''、'''照見大菩薩'''。 *法蓮(生没年不詳):[[英彦山]][[霊仙寺]]の開山。 ===奈良時代=== *[[役小角]](生没年不詳):[[修験道]]の開祖。[[賀茂氏]]。[[葛城山]]、[[吉野]]など各地の霊山を開いたという。'''神変大菩薩'''、'''役行者'''、'''役優婆塞'''、'''山上様''' *仁聞(生没年不詳):[[六郷満山]]の開山。[[八幡神]]の化身。 *佐伯有頼(生没年不詳):[[立山]]の開山。'''慈興'''。 *金蓮(生没年不詳):[[伯耆大山]]の開山。 *寂仙(?-758):[[石鎚山]]の行者。[[嵯峨天皇]]の前世と言われる。'''寂仙菩薩'''。 *[[泰澄]](682-767):[[白山]]の開山。'''越の大徳'''、'''神融禅師'''。 ===平安時代=== *[[万巻]](満願)(720-816):[[箱根山]]の開山。[[鹿島神宮]]、[[多度大社]]に神宮寺を創建。 *[[勝道]](735-817):[[日光山]]の開山。 *[[最澄]](767-822):日本[[天台宗]]の開祖。[[比叡山]]の開山。'''伝教大師'''。 *[[空海]](774-835):日本[[真言宗]]の開祖。[[高野山]]の開山。'''弘法大師'''。 *[[円珍]](814-891):天台宗[[寺門派]]の開祖。'''智証大師'''('''智證大師''')。 *学門(学問)(生没年不詳):[[戸隠山]]の開山。'''学門行者'''('''学問行者''')。 *[[相応]](831-918):比叡山の千日回峰行を創始する。 *[[聖宝]](832-909):修験道[[当山派]]の開祖。 *日蔵(905?-985?):三善清行の子と言われる。[[金峰山]]で修行。冥界で[[菅原道真]]と[[醍醐天皇]]に会ったという。'''道賢上人'''。 *[[性空]](910-1007):[[霧島山]]の開山。播磨・円教寺開山。'''書写上人'''。 *[[増誉]](1032-1116):修験道[[本山派]]の開祖。 *行尊(1057-1135):本山派の僧侶。熊野三山検校2代。[[西国三十三所霊場]]を開いたとも言われる。園城寺長吏。天台座主。'''平等院大僧正'''。 *末代(生没年不詳):[[富士山]]の[[村山修験]]の開祖。 ===鎌倉時代=== *湛増(生没年不詳):熊野別当21代。源平合戦で、最初平家に就いたが、鶏を闘わせて[[源氏]]の勝利を占い([[闘鶏神社]]の名前の由来)、源氏に就く。熊野水軍を統率。 ===南北朝・室町時代=== *頼仁親王(1201-1264):[[児島修験]]の開祖。[[後鳥羽天皇]]皇子。承久の乱に関わった罪で備前児島に流され、[[五流尊瀧院]]を中興。'''冷泉宮'''、'''児島宮'''。 *覚仁親王(1198-1266):[[園城寺]]長吏。後鳥羽天皇皇子。頼仁親王の兄。後嵯峨上皇の熊野行幸の先達を務める。児島に移り、のち弟とともに五流尊瀧院を中興したとされる。'''桜井宮'''。 *[[道興]](1430-1501):[[聖護院門跡]]。京都から出発し、北陸、関東、東北地方まで旅をしたときの紀行文『廻国雑記』著者。 ===近世=== *[[天海]](1536-1643):[[日光東照宮]]を創建。[[金峰山寺]]学頭に就任し、山内'''金輪王寺'''の名前を日光に移す。'''慈眼大師'''。 *[[角行]](1541-1646):[[角行系富士信仰]]の開祖。[[富士講]]、[[扶桑教]]、[[実行教]]の開祖に仮託される。 *義演(1558-1626):[[三宝院門跡]]。[[醍醐寺]]の中興の祖。東寺長者。 *天宥():[[出羽三山]]の中興の祖。 *高賢(?-1707):三宝院門跡。義演に師事。'''宝池院大僧正'''。 *俊尊():当山派の諸国総袈裟頭の初代。大和[[鳳閣寺]]住職。 *[[身禄]](1671-1733):角行系富士信仰の行者。[[富士山]]で断食入定。 *村上光清(1683-1759):富士講の行者。 *高田藤四郎(1706-1782):富士講の行者。身禄の死に際し、富士信仰を喧伝。[[富士塚]]を初めて築いた。 *[[覚明]](1718-1786):[[木曽御嶽信仰]]の開祖。 *[[普寛]](1731-1801):木曽御嶽信仰の開祖。 *役藍泉(1751-1809):儒学者。本山派。周防徳山の教学院住職。藩校鳴鳳館教授。'''島田藍泉'''。 *小谷三志(1766-1841):[[不二道]]の開祖。'''禄行'''。 *行智(1778-1841):当山派の学僧。サンスクリットに明るく、[[平田篤胤]]に教授したという。江戸の銀杏八幡宮別当覚吽院に住した。 *[[播隆]](1786-1840):信濃[[槍ケ岳]]を開山した江戸時代の[[浄土宗]]僧侶。越中出身。 *美泉定山(1815-1877):[[高野山]]、[[出羽三山]]などで修行。蝦夷に渡り、札幌の定山渓温泉を開く。 ===近代=== *佐竹織江(1816-1864):[[英彦山]]の僧侶。伏見で捕まり禁門の変のときに処刑。 *政所有緜(1821-1866):英彦山座主代。尊皇攘夷派の志士。山口藩に乗じ、挙兵を計画するが、小倉藩に捕まり処刑。 *鷹羽浄典(1823-1866):英彦山執当。尊皇攘夷派の志士。山口藩に乗じ、挙兵を計画するが、捕まり処刑。 *高千穂教有(1824-1872):英彦山座主。[[英彦山神社]]宮司。山口藩に乗じ、挙兵を計画するが捕まる。高千穂家はのち華族になる。 *渋川栄承(1827-1866):英彦山の僧侶。政所有緜らとともに処刑。 *柏木民部(1828-1871):英彦山の僧侶。奇兵隊に加わる。'''祐玉坊慶典'''。 *橋本有幸(1834-1890):英彦山の僧侶。小倉藩に捕まるが、脱獄して英彦山に戻った。 *阿部豪逸(1834-1882):英彦山の僧侶。禁門の変に加わる。'''中坊豪端'''。 *水谷左門(1844-1864):英彦山の僧侶。禁門の変で戦死。'''水口坊観清'''。 *[[実利]](1843-1884):[[那智の滝]]で捨身。'''林実利'''、'''実利行者'''。 *[[柴田花守]](1809-1890):[[実行教]]初代管長。小谷三志に学ぶ。不二道を近代化して教派神道教団の実行教として組織。'''咲行'''。 *[[宍野半]](1844-1884):[[扶桑教]]初代管長。国学者。平田鉄胤に師事。富士講を糾合して扶桑教を設立。 *下山応助(生没年不詳):[[木曽御嶽信仰]]の行者。御嶽講を糾合して[[御嶽教]]の設立に尽力するが行方不明となる。 *[[平山省斎]](1815-1890):[[御嶽教]]初代管長。[[大成教]]の開祖。元は幕臣。外国奉行などを務める。失踪した下山応助に代わり、御嶽教管長に就任。 *[[伊藤六郎兵衛]](1829-1894):[[丸山教]]の開祖。 [[category:人物旧跡|*]]
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