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備前・国清寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年5月9日 (土)
国清寺(こくせいじ)は、岡山県岡山市中区小橋町にある岡山池田家ゆかりの臨済宗寺院。岡山池田家の菩提寺。臨済宗妙心寺派。山号は万才山。 (参考:同名寺院国清寺 (同名))
目次 |
歴史
国清寺について
池田家関係で国清寺を名乗ったのは4寺あった。岡山池田家祖で初代姫路藩主の池田輝政(1564-1613)の「国清院殿泰叟玄高大居士」の法号に由来する。
- 姫路国清寺:兵庫県姫路市山野井町。池田利隆が創建。のち龍峰寺と改称。姫路が本多家領となると、元和4年、本多忠政は龍峰寺旧伽藍を東本願寺船場別院に寄進移築した。跡地には明治になり不動院が移ってきた。
- 鳥取国清寺:
- 岡山国清寺:
- 丹後国清寺:
法源寺時代
藩主池田忠継(1599-1615)の代理として岡山にいた池田利隆(1584-1616)が1609年(慶長14年)(1610年(慶長15年)とも)に大華宗仞(妙心寺護国院の天猷玄晃の弟子。あるいはその弟子の宙外玄杲の弟子とも。)を招いて創建。法源院を再興する形で法源寺と称した。1615年(元和1年)の池田忠継の死後、その法号から龍峰寺と改称した。
岡山国清寺時代
1632年(寛永9年)、池田光政(1609-1682)が鳥取藩と国替えで岡山に入封。同時に岡山龍峰寺と鳥取国清寺を寺名を交換。国清寺と称し、池田輝政と池田利隆の菩提寺とした。1674年(延宝2年)、池田綱政が200石を寄進した。開山の大華の門下が各地にいたため、中本山として重視された。
塔頭
- 清泰院:1653年(承応2年)、塔頭見桃庵と伴松庵を合併して法源院を称した。1658年(万治1年)、鳥取藩主池田光仲の命で池田忠雄の菩提寺としてその法号から清泰院と称した。1978年(昭和53年)、浦安本町に移転した。
- 大龍寺:1847年(弘化4年)児島香養寺を境内に移転して法源院と改称。1889年(明治22年)、片桐池田家の菩提寺の周匝大龍寺を合併して大龍寺と改称した。
(日本歴史地名大系)