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備後護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''備後護国神社'''(びんご・ごこくじんじゃ)は、広島県福山市にある[[招魂社]]・[[祖霊社]]。祭神は県内東部の戦没者と福山藩主阿部家歴代の霊。[[福山招魂社]]と[[阿部神社]]を前身とする。阿部神社は[[県社]]で、護国神社は[[官祭招魂社]]で[[内務大臣指定護国神社]] | + | '''備後護国神社'''(びんご・ごこくじんじゃ)は、広島県福山市にある[[招魂社]]・[[祖霊社]]。祭神は県内東部の戦没者と福山藩主阿部家歴代の霊。[[福山招魂社]]と[[阿部神社]]を前身とする。阿部神社は[[県社]]で、護国神社は[[官祭招魂社]]で[[内務大臣指定護国神社]]だった。[[別表神社]]。県内には他の指定護国神社として[[広島護国神社]]がある。造営中に戦災で焼失した護国神社を戦後、[[阿部神社]]に合祀したため、特異な配置をしている。旧称は'''福山護国神社'''。(参考 同名神社[[福山護国神社]]) |
==歴史== | ==歴史== | ||
- | + | 明治1年、福山藩主の阿部正桓が戊辰戦争の戦没者40柱を祀って深津郡吉津村、現在の福山八幡宮境内に創建。 | |
- | + | 明治26年7月、福山城本丸西側の人質櫓跡に創建。 | |
- | + | 明治34年7月、福山招魂社と称した。 | |
昭和14年、指定護国神社となり、福山護国神社と改称。 | 昭和14年、指定護国神社となり、福山護国神社と改称。 | ||
昭和15年から新たな社殿を芦田川河畔に造営を始めたが、 | 昭和15年から新たな社殿を芦田川河畔に造営を始めたが、 | ||
完成目前の昭和20年8月8日に福山大空襲で焼失した。 | 完成目前の昭和20年8月8日に福山大空襲で焼失した。 | ||
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+ | 昭和32年3月11日(31年とも)に阿部神社に合祀して合併。備後護国神社と改称した。 | ||
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+ | 昭和34年7月1日に別表神社。 | ||
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(備後護国神社ウェブサイト) | (備後護国神社ウェブサイト) | ||
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2020年2月25日 (火) 時点における版
備後護国神社(びんご・ごこくじんじゃ)は、広島県福山市にある招魂社・祖霊社。祭神は県内東部の戦没者と福山藩主阿部家歴代の霊。福山招魂社と阿部神社を前身とする。阿部神社は県社で、護国神社は官祭招魂社で内務大臣指定護国神社だった。別表神社。県内には他の指定護国神社として広島護国神社がある。造営中に戦災で焼失した護国神社を戦後、阿部神社に合祀したため、特異な配置をしている。旧称は福山護国神社。(参考 同名神社福山護国神社)
歴史
明治1年、福山藩主の阿部正桓が戊辰戦争の戦没者40柱を祀って深津郡吉津村、現在の福山八幡宮境内に創建。 明治26年7月、福山城本丸西側の人質櫓跡に創建。 明治34年7月、福山招魂社と称した。 昭和14年、指定護国神社となり、福山護国神社と改称。 昭和15年から新たな社殿を芦田川河畔に造営を始めたが、 完成目前の昭和20年8月8日に福山大空襲で焼失した。 占領中は備後神社と称した。 昭和32年3月11日(31年とも)に阿部神社に合祀して合併。備後護国神社と改称した。
昭和34年7月1日に別表神社。
(備後護国神社ウェブサイト)